竪坑(たてこう)とは鉱員の昇降・採掘された石炭の荷揚げ・坑 内の通気等の為に地上から掘られた垂直の穴の事で、鉱員及び石炭 は、ケージと呼ばれるエレベーター状の箱に乗って昇降しました。
  地下垂直600m以上を分速約480mで下降し、約80秒で坑 底に到着しました。因みに横浜ランドマークタワーのエレベーター は分速750mですが、鉄骨枠組だけのケージに乗って真っ暗な竪 坑を降りていくのは、かなり恐怖感のあるものだったということで す。
  また端島の岩盤は出水圧が特に大きかったため、竪坑の開削工事 は防水を初め難工事を強いられましたが、同時に技術者の腕のみせ どころでもありました。
  端島にはその歴史を通して4本の竪坑(第一〜第四)がありまし たが、閉山時には第二と第四の2本が稼働していました。
  竪坑の上には竪坑櫓(たてこうやぐら)という高い櫓が建ち、特 に主力坑だった第二竪坑櫓には直径3m、重さ20トン以上もある 大きな滑車<フライホイール>が設置され、巻き付いた太いワイヤ
ーロープによってケージは昇降していました。竪坑櫓は基本的には 鉄骨製ですが、明治・大正期の竪坑櫓は木造でした。
  第二、第四の両竪坑櫓は鉄骨だったため、閉山後すぐに解体され ましたが、主に坑道の排気に使用されていた第四竪坑櫓の基礎部分 が現在でも草むらの中にひっそりと佇み(画像右)、中には当時の 表示板が残存しています(画像下右)。
  また主力坑だった二坑は現在では殆どその施設は崩壊し、かろう じて竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分だけが残存 しています(画像下左)。


第四竪坑跡。風の道であることから<風塔>ともよばれました



第二竪坑桟橋階段跡。第二竪坑の遺構は今ではこれだけです


第四竪坑内に残る表示板

竪坑年表

閉山後多くの炭鉱の竪坑は、排水作業等の為に空けておく以外は埋め戻され、
竪坑櫓は残っていても坑口は塞がっている事が殆どです。



池島炭鉱第二竪坑(長崎)
昭和56年(1981)完成の第二竪坑。
平成13年(2001)の閉山と共に埋められ、
現在は坑口から上の施設だけが残存しています。


三井奔別炭鉱竪坑(北海道)
手前の部屋状のものは操舵室。奥に見える鉄骨組の
中にかつては4段積のケージが昇降していました。



三井三池炭鉱万田坑第一竪坑(熊本)
明治35年(1902)開坑。273m。
現在も排水作業のため坑口は塞がれていません。


三井三池炭鉱万田坑ケージ(熊本)
三池炭鉱の構内に残る25人乗りケージ。


竪坑櫓は遠目からも確認できるいわば炭鉱のシンボルで、様々な形のもがあります。
参考として現存する他炭鉱の幾つかを紹介します。



三井三池炭鉱万田坑第二竪坑櫓(熊本)
明治41年(1908)建設。約19m。
約100年の歳月が経つ竪坑櫓。


北炭幌内炭鉱入気竪坑櫓(北海道)
昭和42年(1967)建設。約40m。
正面からみると手を合わせたように見えることから
合掌型と呼ばれる竪坑櫓。



三井奔別炭鉱竪坑櫓(北海道)
昭和35年(1956)建設。51m。
現存する国内最高の竪坑櫓で、手前の鉄骨は埋戻し
作業中の爆発事故の爪跡。


北炭幾春別炭鉱錦坑竪坑櫓(北海道)
大正9年(1920)建設。約10m。
現存する道内最古の櫓で、一般的な櫓とは外見が異
なり、大きさもかなり小振りです。

 
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