■ 変電所 ■

大昔はランプによる灯りでしたが、炭
鉱という島の特性から電気はかなり古い
時代から導入され、三菱系炭鉱の中では
最も早い、明治35年(1902)の事
でした。
大正6年(1917)に端島炭鉱の親
会社にあたる高島炭鉱の二子坑からの送
電海底電線ケーブルの敷設により、同年
送電が開始され、発電所も変電所に変わ
り、それ以降高島からの供給電力により
総ての電力がまかなわれました。早い時
期からの普及は、ひとえに巻揚機や空気
圧縮機など炭鉱施設に必要な電力を確保
するためでした。
画像は鉱業所地区の変電所に残存する
変電板ですが、殆どが崩壊してしまった
鉱業所の建物の中では最も原型をとどめ
て残存する建物の中なので、鉄板製にも
かかわらずかろうじて残っています。
巻上施設である<二坑捲>用のメーター

総鉄板製にも拘わらずかろうじて残存する配電盤
変電所内部

■ 圧気室 ■

圧気室とは、圧搾空気による動力を造
りだす施設のことで、坑道内はガスなど
引火性のものが多く火力が使用できない
ため、圧搾空気による動力で動く機材が
多く導入されていました。
閉山時端島には3つの圧気室があり、
その一つは主要旋風機と隣接していまし
た。また隣の圧気室は現在では殆ど鉄筋
の枠組みしか残存していません。また最
後に造られた新圧気室は、かろうじて付
属施設だったフィルター室のみが生い茂
る草むらの中に残存しているだけです。
この新圧気室はすぐ隣に住宅棟がある
ため、当初から騒音防止対策が施されて
離島の炭鉱施設で既に騒音公害が考慮さ れたことは、この島の都会性を物語るエ ピソードだと思います。
扇風機室と隣り合わせに建つ圧気室

殆ど鉄筋の枠組みしか残っていない圧気室
新圧気室用フィルター室跡。奥に写るのは資材倉庫