端島に最も隣接する中ノ島は元来炭鉱 の島で、既に細々と操業されていた鉱区 を、端島よりも早い明治17年(188 4)に三菱社が買収し、竪坑2本を掘削
するなど、本格的な操業が始まりますが、
坑道の湧き水が多く明治26年(189
3)に操業を停止し、その炭鉱生命は短
命に終わりました。現在でも操業当時の
井坑跡が残存しています。
それ以降端島の姉妹島的な存在として
海浜レジャーの拠点になり、昭和37年
(1962)には全国的に広がった緑化
運動の流れで島内が整備され<中ノ島水
上公園>が完成し、閉山まで端島から最
も近い緑地公園としての役割を果たしま
した。
また端島には墓所がなく、郷里のある
島民は里帰りして埋葬されましたが、無
縁仏は島内にある火葬場で荼毘に臥され
中ノ島内に埋葬されました。
中ノ島俯瞰図
現在も釣り客の恰好の釣り場として人気の端島方面から見た中ノ島

初期長崎で製造された現在より薄い<蒟蒻煉瓦>造の遺構
今なお島内に残存する旧井坑跡

現在と同じ<豆腐煉瓦>造の火葬炉跡
火葬炉横の納骨碑裏にひっそりと佇む地蔵尊

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