海に囲まれている島への出入りは当然海を渡らなくてはならず、あらゆる生活物資も海からの供給がない限り成り立ちませんでしたが、
築堤により全く浜がない端島にとっては、船の着岸もまた最重要課題のひとつとして、長年の海との闘いを強いられるものでした。
石炭の船への積み込みは初期段階から鉄骨アームによるものでしたが、一般の海上交通は初期の頃は小舟で岸壁の斜路にじかに着岸して
いました。明治20年(1887)国内で4番目に建造された鉄船<夕顔丸>が進水しても、海上で<艀(はしけ)>(または団平船)とよばれる小舟に乗
り換え、斜路から上陸するという形は変わりませんでした。大正11年(1925)にクレーン式上陸桟橋ができると、艀からこの桟橋を
通って上陸することができるようになりますが、ひとたび海が時化ると艀に乗り移れない子供や、上陸桟橋から垂れる縄梯子を昇って上陸
するというかなり過酷なものでした。
島民の長年の夢でもあった大型船の着岸できる桟橋が完全に完成したのは昭和37年(1962)のことでしたが、この桟橋は海との壮
絶な闘いの末に完成した試行錯誤の結晶でした。