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お尋ねします。 投稿者:エクセル写経  投稿日:2008/11/17(Mon) 10:56 No.4044

建設業で電気屋をしていた者ですが、

地域、業種を超えた異業種交流ができればと思い、軍艦島について教えていただければと思います。

今現在、軍艦島は何処の所有になっているのでしょう?

鉱山会社でしょうか、県や市などの行政機関でしょうか?

教えていただければと思います。

Re: お尋ねします。 管理人 - 2008/11/23(Sun) 00:11 No.4054

▼エクセル写経さんへ

制作に忙殺され、お返事おそくなりました。

地域、業種を超えた異業種交流、
こちらこそよろしくお願いいたします。

端島は、現在は長崎市の管轄になっています。
ちなみに2001年までは、もともとの所有者だった三菱マテリアルが、
そして2001年〜2005年初頭まで、高島町の管轄でした。
 
画像はビルの屋上に残る開閉所です。
建設と電気と伺って、もしかしたらごご興味がおありかと思い、
アップしました。
 

回答有難うございました。 エクセル写経 - 2009/03/01(Sun) 12:50 No.4155

建設業も需要の飽和で人口をもてあましていると思います。

私も建設業の責務を考えて、10年休業しているしだいです。

今までは不況産業の人口を建設業が吸収していましたが、10年前から建設業が不況業種になってしまってます。

住宅や産業への役目を終わったと思います。

需要を考えれば建設業の6割がたは新たな役目を見つけて移動しなければ資源の無いこの国では生きていけないだろうと思います。

そこで目をつけたのが今は廃山と成ってる鉱業分野です。

20年前の技術力では鉱業で出来なかった事も現在の建設業なら出来る方法が有るのではないかと思いました。

又、雇用を考えるならば国の仕事も雇用に成るだろうと思います。

そこで、軍艦島など海に面した炭鉱を使ってないなら、自衛隊などの国防の施設を作れば雇用に繋がるのではないかと思いました。

炭鉱で掘られた穴があるのだから、それを利用すれば建設費もある程度削減されるし、市や県で施設を作り国に貸すことで収益にも繋がるだろうし、隊員を相手に産業も作ることができるのではないかと思いました。

自衛隊の装備も税金で作られていることから、島の中に隠せるようになっていればもしもの攻撃に装備を失わない事も節税になるだろうし

そんな施設なら自衛隊も装備が見える港より装備が見えない港を優先的に借りるのではないかと思います。

軍艦島に5000人の人が入れば市としても税収に成るだろうし、人口が増えれば増えただけの仕事が住民に齎せられるのではないかと思います。

私が地理で習ったときには海底の底まで掘られていると聞いた炭鉱、その地形も利用できるのではないかと思います。

そんな施設を作るだけでも建設としての雇用がもたらされるだろうと思います。

昨今騒がれる派遣切り、国内での労働人口が需要より多い事で持たされていると思います。

炭鉱のこんな使い方は如何でしょう。

Re: お尋ねします。 管理人 - 2009/03/02(Mon) 12:23 No.4160

▼エクセル写経さんへ

炭鉱施設の再利用に関してのお話をありがとうございます。
確かに有効な再利用が可能なら、それにこした事はないと思います。
ただ、炭鉱の坑道はメタンガスが発生することが多く、
一般的に閉山後は坑道は埋めてしまいます。
実際端島炭鉱の坑道も既に埋められています。
また海底炭鉱は湧き水の対策も考えなくてはなりません。
操業時は24時間態勢で、坑内換気から排水、排ガス等、
あらゆるメンテナンスに気を配っていました。
更に端島は湧き水がなく、操業時は海底パイプラインによる水の供給、
そして高島からの海底電線での電力の供給によって、
ライフラインを確保していました。
今からこれらの設備を全て操業時の状態に戻さない限り、
人が生活する空間として使う事はできないと思います。
となると膨大な費用がかかるのではないかと思われます。
 

Re: お尋ねします。 エクセル写経 - 2009/03/14(Sat) 19:57 No.4166

こんばんは、管理人さん

今や昔と違い、飲料水も電力も土地さえあれば供給できるほど技術は進んでます。

島の利用と言っても、海上自衛隊の基地を作って国に貸すようにすれば自衛隊の人工も住民税がいただけるでしょう。

写真を見る限り端島の中は空洞みたいなので、海を島の中に引き込むようにして波止場を作れば立派な海軍基地でしょう。

おまけに屋根をつけ残土を敷き、住宅を作ればそれが兵舎になる。

島の端に風力発電機や兵舎に太陽光発電機を設置すればそれが発電所になり、周りの海から海水を取り込んで浄水すれば飲料水と塩が取れる。

折角税金で作った自衛艦ももしものときに沈められてはそれこそ国民の損失に成るだろうと思います。

せめて第一激に耐えるならば新たに艦船を作ることもないので、国民の負担を軽減するだろうと思います。

何より、これから始まる大量失業時代、少しでも住民の雇用になれば雇用対策としても使えるのではないかと思います。

島ならば全長100m位の船を何隻も隠す事ができるでしょう。

世界の情勢が混沌としている現在国防も大事だろうと思います。

建設業的発想です。

Re: お尋ねします。 管理人 - 2009/03/24(Tue) 04:50 No.4170

▼エクセル写経

確かに当時と比べると技術もずいぶん進歩したでしょうし、
実際に端島を住める様にするのも、そんなに大変な事ではないのかもしれませんね。
また国防も勿論大事な案件だと思うので、
その拠点にする、というお話も有意義な事かと思います。
そういったグローバルな視点で考える必要もあると思いました。
個人的な感情からお話すると、
端島が軍事基地になるのは、あまり望まない事ですが。
 

Re: お尋ねします。 エクセル写経 - 2009/03/29(Sun) 16:54 No.4173

こんにちは、

>端島が軍事基地になるのは、あまり望まない事ですが。

私も望みませんが、同胞が失業に苛まれていては仕方がないことだと思います。

バブル以前なら、国民が遊んでたって国外からGNPの3倍もの金利が入ってくると言っていたのに、此処10年で使い込んでしまってるから、言いたくない事でも言わざるを得なくなる。

もっと国も確りしてほしいと思うこのごろです。



13号棟・22号棟 投稿者:Suica  投稿日:2008/06/26(Thu) 00:13 No.3892

ぶしつけな質問で申し訳ございません。
13号・22号棟のアクセスは容易なのでしょうか。
ちょっと疑問に感じたものです。

様々なサイトを拝見していても、
22号の玄関部は雑草が多いようですし、
13号は3号からの坂を下るようですが、
穴が開いているような感じです。
20号→14号→13号も複雑そうですし。
あまりこれらのアプローチ画像を
見かけないものですから、質問させて頂きました。。

Re: 13号棟・22号棟 管理人 - 2008/06/26(Thu) 13:46 No.3894

▼Suicaさんへ

13号棟と22号棟のアクセスですが、
13号棟からは1階を出て13号棟の目の前の中庭を通って、
22号棟からは4階の外ブリッジから13号棟の目の前の中庭を通って、
それぞれ往来できます。

また単純に13号棟へのアクセスと言う事でしたら、
21号棟最上階から14号棟の手前へ出るブリッジを通り、
上記同様13号棟の目の前の中庭を通って1階から、
また3号棟前から南へ延びる通りを抜けて、
13号棟の最上階へアプセスできます。

13号棟手前の中庭は多少植物が育っているようですが、
最後にこの辺を訪れた時は歩行にはまったく問題ありませんでした。
また3号棟からの通りはご指摘のように穴が空いていますね。

画像は13号棟1階東側の中庭です。
右側の印が22号棟のブリッジの付近、
左側の印が13号棟の1階への通り道です。
 

Re: 13号棟・22号棟 Suica - 2008/06/27(Fri) 01:56 No.3896

分かりやすいご解説、
誠にありがとうございました。

Re: 13号棟・22号棟 Suica - 2008/06/27(Fri) 10:25 No.3897

再度の質問をお許し下さい。

3号棟の通り→13号棟へのアクセスですが、
穴があり、少々草も生えていて、
下り坂となっているようです。
状況等で変化しているとは思いますが、
通行に支障はないレベルでしょうか。

また当BBSで拝見した記憶があるのですが、
22号棟居住部の端島神社のお札貼付跡が
あるのは何階になりますでしょうか。
22号は役場支所跡(1階)は難なくアクセスできる
ようですが、2階以上になりますと直接アクセス
出来ず、(玄関部は雑草がかなり多いようです。)
13号経由の22号、というようになるのでしょうか。

度々の質問、申し訳ございません。

Re: 13号棟・22号棟 管理人 - 2008/06/27(Fri) 15:55 No.3898

▼Suicaさんへ

3号棟→13号棟の道は確かに緩やかな下り坂になりますね。
道に繁殖する植物は、少々ではなくかなり激しく繁茂しています。
一つ前のコメント欄では通行に支障ないとお伝えしましたが、
通行できなくはない、という感じで、
通常の通行から考えれば、遥かに困難な状態だと思います。

画像は3号棟→13号棟の連絡通路を下り、
更に13号棟へ降りる階段から3号棟方面を眺めた光景です。
ツタがからまる画像右下へ向かって斜めに降りて来ているのが、
3号棟→13号棟を結ぶ緩やかな下り坂ですが、
ご覧のようにかなり歩行は困難な状態です。
更に画像はかなり以前のものなので、
今ではもっと通行は困難になっていることが予想されます。

また22号棟の住居階へも、上のコメント欄に記した様に、
13号棟前の中庭へ続くブリッジから行く方が遥かに容易かと思います。

また22号棟内に残る端島神社のお札に関しては、
端島支所下っ端用務員さんのご投稿ですので、
用務員さんがご存知かと思います。
用務員さんがこのコメント欄をご覧になれば、
お答え頂けるのではないかと思います。
 

Re: 13号棟・22号棟 Suica - 2008/06/28(Sat) 01:54 No.3900

度々のご回答、
誠にありがとうございました。

Re: 13号棟・22号棟 端島支所下っぱ用務員 - 2008/07/13(Sun) 16:46 No.3906

suicaさんへ。
返事の書き込みおそくなりまして申し訳ありませんでした。
H9年頃撮った22号の居室内神棚に残っていた端島神社御札写真、何階の居室ですかとのお尋ねですが、お恥ずかしながら忘れてしまいました・・・。
22号というのは間違いないと思いますがいささか階数までは記憶が・・・。
お役に立てず申し訳ありません。
再度端島神社御札写真を貼ろうかと探したんですが写真が行方知れずで見つからず仕方なく神社つながりで端島神社神殿の写真を貼りました。
用務員めの写真に興味を引いて頂ける事、有難いかぎりです。           おそまつでした・・・・。

Re: 13号棟・22号棟 Suica - 2008/07/15(Tue) 23:09 No.3910

端島支所下っぱ用務員様、レス本当にありがとうございます!!
嬉しくて、嬉しくて・・・。
大感謝です!!
今後もよろしくご教示お願い申し上げます。

Re: 13号棟・22号棟 MzG - 2008/10/16(Thu) 00:06 No.4033

横レス失礼致します

以前端島神社の御札の事が書かれていた事を思いだし、探していたところ偶然にも発見しましたのでご参考までに…



『軍艦島ナイト』イベントリポート 投稿者:管理人  投稿日:2009/02/28(Sat) 11:46 No.4154

以前掲示板でもお伝えした、
昨年末、お台場の東京カルチャーカルチャーで行ったイベント
『軍艦島ナイト』のイベントリポートをブログにアップ中です。

http://blog.goo.ne.jp/o-project/e/e97f24a51d17a8911fc8956b5d383607

『ワンダーJAPAN』の編集長の関口さん、
『記憶屋 廃墟』管理人のドイテフさん、
をゲストに向かえ、オープロジェクトの3人と共に、
トークセッション形式で進行したイベントでは、
廃墟や産業遺産などに関して、
時には広く浅く、時にはディープな話が展開しました。

ブログ記事で数十回に分けてのアップなので、
イベントの様子は詳細にお伝え出来ると思います。

みなさんご覧になって下さい。
 



在りし日の南部地域 投稿者:管理人  投稿日:2009/02/14(Sat) 11:43 No.4141

閉山の時に31号棟が建っていた地域には、かつて商店街がありましたが、
昭和31年 (1956) の大型台風によって、
堤防はおろか人工地盤まで流出する壊滅的な打撃を受け、
商店もその殆どが流されてしまいました。

この商店街に遊郭があった話は先日発売した
『軍艦島全景 gunkanjima odyssey archives』に記載してありますが、
それ以外にはどんなお店があったのかが気になります。
昭和31年までこの商店街にお住まいで、
昨年末発売したDVD『軍艦島オデッセイ -廿世紀未来島を歩く-』の
特典映像でもインタビュー出演頂いた鐘ヶ江貞子さんのお話によると、
正確にはわからないものの、大正時代の初期には既に商店街としての形があったようです。
そして初期の頃から商店街で営業していた店に、
鐘ヶ江貞子さんがいらっしゃった「鐘ヶ江酒店」、
そして「海野(うみの)酒店」があったようです。

その他画像にあるように、堤防寄りには
「西谷撞球場」や日用雑貨を扱う「中山商店」などがあったようです。
また現在31号棟が建っている岩礁寄りのエリアには3軒の遊郭が軒を連ね、
そのうちの一件が抑留者専用の「遊郭吉田」だったそうですが、
抑留者がいなくなりその必要がなくなった後に、そこに
「大石洋装店」と「中島文具店」が入居する事になったそうです。

台風の後に31号棟が建てられると、
商店街にあった店は48号棟1階に横付けの仮設的な小屋に仮移転し、
やがて51号棟や日給社宅の1階に移転しますが、
唯一商店街のはずれにあった郵便局だけが31号棟に入居したようです。

商店街には床屋さん「尾崎理髪店」もあったようですが、
位置がよくわかりません。
ちなみに閉山時スナック白水苑が入居していた25号棟1階に、
かつて駐在所が入居していた話は既にサイトでもアップしていますが、
その奥には「松延理髪店」が入居していて、
これを上床屋、商店街の理髪店を下床屋と呼んでいたそうです。
上、下という呼び方は上風呂(8号棟)と下風呂(61号棟地下)のように、
端島では慣用的な使い方だったんですね。
閉山時に31号棟に入居していた一般業者の理髪店は
「瀬戸口理髪店」という名前だったと聞いた事があるので、
いずれの理髪店でもないんではないかと思います。
 

Re: 在りし日の南部地域 管理人 - 2009/02/17(Tue) 04:42 No.4144

誰も感想をかいてくれないんで(T.T)自分で感想。

商店街というのはとても魅力的な場所だと思います。
色のない住宅街とは違って、商店街には沢山の色があり、
賑わいがあり人が集まり、新しい何かが生まれる、
そんな気にさせてくれるのが商店街だと思います。

端島は、完全に貨幣経済の島であると同時に、
隣町へ行けば別の店がある地続きの土地もないので、
島民にとって商店街は、特にありがたい存在だったんじゃないかと思います。
そういう意味で端島の商店街がとても気になります。

上の記述には書きませんでしたが、
「鐘ヶ江酒店」「海野酒店」ともにお酒を売ってはいましたが、
それ以外にも日用品を多数取り揃えていたようです。
また「中山商店」も酒こそおかないものの、
同様に多くの日用品を揃えた店だったようです。
この時期既に会社が経営する購買部があり、
だいたいの日常品は購買部で購入出来たそうですが、
ではなぜ一般業者の店も購買部と同じような品揃えだったんでしょうか。

昭和30年代〜40年代といえば、
東京の商店街にあった店はその殆どが専門店でした。
魚は魚屋さん、肉は肉屋さん、パンはパン屋さん、
豆屋さんとか乾物屋さんとかもあり、
中にはどじょうと貝だけ売っているような店もあったりしました。
小さな商店街だとスーパーと呼ばれる店はたいがい一軒だけで、
唯一そこだけが現代と同様、色々な商品を売っている店でした。

やがて時代が経つに連れてチェーン店やコンビニが増えて行き、
今ではどの街角でも一番目につくのはコンビニです。
昨年コンビニ業界の総売上が百貨店業界を上回った、というニュースを見ました。
その原因として、不況から来る安いものを求める消費者の増加
ということが挙げられている様ですが、そうでしょうか?
コンビニって決して安くないですよね。
どっちかっていうと、かなり高い。
コンビニという業態が普及したのは別の理由があるんじゃないでしょうかね。

ここで思い出すのが端島の何でも取り扱う商店です。
端島の商店は昭和30年代に既にコンビニ化してたんじゃないでしょうか。
この時期端島は決して不況ではありませんでした。
なのにどの店もが同じような品揃えでも成り立ってしまう街。
これって、人口が過密になった円熟した街に求められる業態
ってことなんじゃないでしょうかね。
なんの根拠もないですが。

端島の商店街からふとそんなことを思いました。

Re: 在りし日の南部地域 O-PROJECT Nishida - 2009/02/19(Thu) 22:31 No.4149

うっひょー、ついに南部の商店街MAPっすか。
なるほど。
ちなみになんでも売っている酒屋や薬局というのは、わりかし一般的だったらしいと聞いてますがどうねんでしょう。
(もちろん当時生きてないので耳知識です)
地方や郊外集落の商店街はさほど専門店というのは無かった気がします。幼少の記憶ですが例えば豆腐屋さんに駄菓子なんかも置いてたり・・・・。
贈答品送るならあそこの店主は達筆だからとか・・・、地域の店ならではの棲み分けが成立してたんじゃないかと。

で、なんでコンビニが成立してくるかというと、そういう島・村社会の慣習を気にせず、なんでも便利に気軽に買えるという部分が受け入れられてきた結果じゃないでしょうか。
ただ、そうした個性的地域密着的な商店が無くなってしまった結果、地域活動も低下して行ってるのだと思います。

人口比から比べると端島の商店街は小さすぎ、
だからこそ市場にあそこまで人が押し寄せる。
70年代までは地方の買い物は市がメインですよね。
おばあちゃんが、今日はどこの市、明日はどこの市
って気にしてたのが思い出されます。
(商店街的なものも全国的に発展するのは戦後ですよね)

ここから、商店と商店街の歴史に思いをめぐらせるのも
面白いですよね。

Re: 在りし日の南部地域 管理人 - 2009/02/21(Sat) 09:01 No.4150

▼O-PROJECT Nishidaくんへ

思い出せば、親戚の家の周りにあった店は、何でも売ってる店でした(^.^ゞ)
そう思うと、コンビニをよろず屋と考えて、
街の成熟に合わせて増えて行った業態、って考えるのも、
おかしいっすね(^.^ゞ)
コンビニの発展は西田君のいうように、
絆の希薄になったコミュニティの形の変化によって発展して来た事の方が、
大きな要因でしょうね。

そう考えると、
絆が深かった端島によろず屋的な店が発展したのは、
コンビニとは全然違う意味だと思うし、
さらに当時はそういったよろず屋的なものが一般的だったとすれば、
その流れと考える方が妥当でしょうね。(汗)
 

Re: 在りし日の南部地域 端島支所下っぱ用務員 - 2009/03/01(Sun) 14:05 No.4159

お世話になっております。
端島の「松延理髪店」の文字を見て懐かしくなりカキコみしました。
同級生に高島で松延理髪店の息子と大の仲良しで、幼稚園、小学校、中学校(島にひとつのみの幼稚園・小学校・中学校なので当たり前ですが)とよく遊んでました。
自分が子供の頃の松延理髪店は蛎瀬地区に店舗兼住居を構えてました。その昔は二子地区のほうで店を開いてたと聞いてました。
今考えると松延理髪店のじーちゃんが昔は端島に居た、と確か言ってたような気がします。
高島閉山前に店をたたんで引っ越ししたようですので今はどうしてるかな・・・と思うところです。
松延くんの両親はまだ健在でしょうがじーちゃんはもう他界しているはずです。
懐かしい名前を久しぶりに見てカキコみ致しました。
                おそまつでした・・・。

Re: 在りし日の南部地域 管理人 - 2009/03/02(Mon) 12:50 No.4162

▼下っぱ用務員さんへ

そうですか、用務員さんにとっては「松延理髪店」というのは懐かしいお名前なのですね。
下床屋の「尾崎理髪店」も確か高島からいらっしゃたと伺いました。
当時端島の商店街に出店していたお店には、
高島からいらっしゃったお店も多かったようですね。
 



北渓井坑の排気口? 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2009/03/01(Sun) 13:21 No.4156

お世話になっております。
久しく投稿しておりませんで申し訳ありません・・・。
今日は高島ネタで。
高島の北渓井坑の奥のほう、約100メートル近く離れたとこに古井戸のようなものがあり父に尋ねると北渓井坑の排気口と昔から聞いていたと言ってます。
中は石垣で丸く組まれていて一見すると古井戸となんら変わりありません。
高島には井戸というものが無く(自分が知ってる限り、また父も井戸は無いと言ってますが)とするとこれはやはり北渓井坑の排気口と考えるのが妥当かな?と思うところです。
もちろん確証はありませんが・・・。
結構深くずっと下のほうには水が溜まってます。
昭和30年頃まで北渓井坑と共に水を汲んで日常生活水(飲用には不可だったとの事。少ししょっぱかったそうです)に使ってたそうです。
3枚アップしました。
まず1枚目。外観です。

Re: 北渓井坑の排気口? 端島支所下っぱ用務員 - 2009/03/01(Sun) 13:23 No.4157

2枚目。一寸離れて撮影。
古小屋の中に半分隠れるような感じであります。

Re: 北渓井坑の排気口? 端島支所下っぱ用務員 - 2009/03/01(Sun) 13:25 No.4158

3枚目。金網の隙間から中を撮ってみました。
一寸分かりずらいでしょうか・・・。
           おそまつでした・・・。

Re: 北渓井坑の排気口? 管理人 - 2009/03/02(Mon) 12:31 No.4161

▼下っぱ用務員さんへ

北渓井坑の排気竪坑跡と思われるもののお話をありがとうございます。
排気竪坑の存在は今まで全く知りませんでした。
それにしても、
入気竪坑跡の扱いもかなりヒドいと思ってましたが、
これはもっとヒドい扱いですね。
せっかく暫定遺産リストにも入ったので、
この時期に入気と一緒に整備されたらいいなと思いました。

3枚目の井戸の中がどうしても気になって、
少し内部を明るくさせて頂きました。

今度高島へ行ったらば見学させてもらいます。



中ノ島 投稿者:blueswave  投稿日:2009/02/17(Tue) 20:45 No.4147 <HOME>

早速のご返信、ありがとうございます。なにかと妄想を掻き立てる島ではありますね。
ご紹介いただいたリンクのなかに「中ノ島」に関する記述がありますが、この島についてはつい最近読みました内田康夫氏の「棄霊島」という本に、「中ノ島は火葬場だけが存在した島」というように書かれていました。「端島」で亡くなった人の火葬は中ノ島に運んでおこなわれた」というような記述になっています。これもまた妄想を掻き立てられますね。

Re: 中ノ島 管理人 - 2009/02/18(Wed) 06:09 No.4148

▼blueswaveさんへ

おっしゃるように、横島は妄想をかき立ててくれる島だと思います。
そして中ノ島は、ご存知の様に現在も岩礁として残っていますが、
もっと妄想をかき立ててくれる島ですね!
端島よりも早く炭鉱として開発された島。
そして昭和の時代には端島の水上公園になるかたわら、
ずっと端島の火葬場としての役割も担って来た中ノ島は、
端島と切っても切れない島だと思います。
島内には明治時代の竪坑跡も残っていますが、
その穴跡が散骨場所として使われるという歴史も持つ、
数奇な運命をたどる島です。

中ノ島に関しては拙サイトでもアップしていますので、
よろしかったらご覧になって下さい。

http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-01-12.htm

また管理人の個人ブログには、
22回にわたる中ノ島の見学リポートをアップしてありますので、
そちらもよろしかったらご覧になって下さい。

http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/0b3538ada7b6de3fefabeb8957c841c1

画像は中ノ島の島内の様子です。
上左:海岸線に残るコンニャク煉瓦製の施設跡。
上右:火葬炉跡。島内にはこの他にも火葬炉あとがあります。
下左:植物に包まれる頂上展望台。
下右:頂上から眺める端島。
※画像はクリックすると拡大されます。 



だれ?なぜ? 投稿者:  投稿日:2008/12/18(Thu) 11:07 No.4092

軍艦島の建設を指揮したのは誰ですか?
あとなぜですか?
分かる方は教えてください。

Re: だれ?なぜ? 管理人 - 2008/12/19(Fri) 03:33 No.4096

▼李さんへ

ご質問が簡単なので、どこまでお知りになりたいか分かりませんが、
軍艦島を要塞の様に建設した時に、その指揮をとったのは、
軍艦島を経営していた三菱です。
また、なぜ?というのも難しい質問ですが、
なぜ?を、人が住めないただの岩礁を、
軍艦の様な人工の大地に変えたのはなぜ?
という質問と解釈させて頂いて、
軍艦島の島直下の海底に眠る石炭がとても良質な石炭で、
その石炭を掘り出す事で、とてもお金になり、日本のためにもなったので、
狭い土地に沢山の人が住める様にしたためだと思います。

こんなお答えでよろしいでしょうか?
もっと他の内容をお聞きになりたいということでしたら、
改めてご質問頂ければと思います。

画像はクルージングの船上からみる住宅棟群です。
折り重なり積み上がる住宅棟は圧巻の一言です。
 

ありがとうございます  - 2009/02/10(Tue) 11:18 No.4138

質問が漠然としていてすみませんでした。
何もない土地から住める土地に変えるなんて
すごい財力ですね!!
何年がかりで住める土地を築いたのでしょうか?
よかったら教えてもらえませんか。

Re: だれ?なぜ? 管理人 - 2009/02/12(Thu) 06:55 No.4139

▼李さんへ

何年がかりで住める様になったか、というご質問も
またとてもお答えするのに難しいご質問ですね。
昔からあった岩礁の南部に26号棟という建物がありましたが、
そこには元々島渡しの船頭さんの小屋があり、
最初に人が移り住んだ場所、と言われています。
それを考えると、住もうと思えば住めない土地ではなかったようですね。

ただ自然の岩礁の周囲を埋め立てて人工の地盤を周囲に作り、
現在のような形になるのは、
炭鉱開発が本格的に始まった明治時代の頃のようです。
明治23年に三菱が操業を開始しますが、
明治30年にはほぼ現在の形になっているので、
その期間はわずか7年!。びっくりです。
拡張の変遷に関しては『軍艦島概説/絶海の要塞/<図>拡張変遷図』
をご覧になって頂ければと思います。

http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-02-00.htm

これは余談になりますが、
周囲の埋め立てにはボタが使われたとよくいわれますが、
実際は対岸の高浜等から運んだ砂や土が殆どだったようです。

最初のご質問や今回のご質問など、
全ては『軍艦島概説』にアップしてありますので、
一度全部ご覧になってみてください。

http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-00.htm

ありがとうございます  - 2009/02/12(Thu) 10:58 No.4140

二度も曖昧な質問をして反省です。
上記のURLの『軍艦島概説』をもう一度見直します。
読書は苦手なんですよ。でも、軍艦島には多大な興味があるので、がんばってちゃんと読みます。

返答ありがとうございます。



o-project のDVDと本の紹介と書評 投稿者:足尾研究会・橋本 康夫  投稿日:2009/02/08(Sun) 15:12 No.4134 <HOME>

いつもお世話様です。
掲示板嫌いの私が珍しく、そして初めて投稿させて頂きます。よろしくお願いします。

 遅くなりましたが、このたびのDVDと本の紹介と書評を兼ねて拙サイトに本日アップさせて頂きました。
 お時間のある時にでもお読み頂ければと思います。
http://www2.odn.ne.jp/ashio-kenkyukai/book.html#dvd

※ 番外編ですが一言言いたい
 最近端島関連のテレビ報道を見る機会がありました。それによると観光の為の上陸の補修工事ほぼ完成の様子が出ています。しかし、それを見て残念な思いをしているのは私だけではないでしょう。全面では無いが、ドルフィン桟橋は無惨にも壊されて原形と違っているし、上陸ルートはフェンスで仕切られているし、30号棟の近辺は瓦礫等がきれいに清掃されて…。そして早くもその設計に今年の台風の影響まで心配されている。
 あぁーこれが端島の自然崩壊を見せるという世界遺産の目的か。と考えると納得できない。真新しいコンクリートの遊歩道といい、どうして端島の大切で貴重な遺産を壊してまで新たな道路・モノを作り、観光をしなくてはならないのだろう。
簡単にはもとには戻せないのだぞ。日本の役所が考える「観光」とはこんなものか。まったく情けない。
 このような「観光地化」に改めて反対する。もう端島には手を付けるな!

Re: o-project のDVDと本の紹介と書評 管理人 - 2009/02/09(Mon) 05:03 No.4136

▼橋本康夫さんへ

DVDと書籍の評を、誠にありがとうございます。

最近は、世に出回る全ての資料に書かれている事が正しくないこともある。
ということを良く思います。
『軍艦島全景』などは、現在はわからなくても、
時間が経つ事によって明らかになる誤りが、沢山潜んでいそうな気がいたします。
が、そのへんも含めてご覧になって頂ければと思います。

かつて島内に沢山あった落書きも、やがては色あせ、消えて行くと思います。
閉山後、不審火によって無くなってしまったマーケットも、
もともと木造の建物だったので、
いずれは朽ちて、なくなっていたと思います。
けれども今回のドルフィン桟橋と鉱業所の改造は、
元に戻るこことが決して出来ない改造だと思います。

廃墟になってからの時間の中で、
島を最も破壊したのが、今回の工事だと思います。

画像は2度と見る事ができなくなってしまった、
ドルフィン桟橋のオリジナルのタラップ部分です。

Re: o-project のDVDと本の紹介と書評 O-PROJECT Nishida - 2009/02/10(Tue) 01:32 No.4137

橋本さま、いつもお世話になっております。

DVDと書籍の評、大変ありがとうございます。
DVDインタビューとコメンタリー両方とも、
私がまとめたのですが、時間配分バランスとも含めて
突っ込み足りないきらいがあるかもしれません。
私の技術の未熟もあると思いますが・・・・。

まぁ、今回は実験的に特典として入れ込みました。
これまでの廃虚関連作品にこのような特典が
無かったものですから、
実験的に新しい試みをしたかったのです。
次回作ではさらに精進をしつつ、
また新たな試みを続けて行きたいと思っております。
またいろいろご指南頂ければ幸いです。

今回の遊歩道整備はかなり残念です。
極力、手を入れずに、ある程度の安全性を
担保するやり方はあったと思います。
まずあのコンクリの板を敷く意味が
さっぱり分かりません。
(瓦礫だけ取り除けばいいものを・・・)
客層をまったくとらえていない
机上の観光化だと思っています。
廃虚ファンにも産業遺産ファンにも
普通の一般客にも満足できないものになるでしょう。
せめてソフト面で坂本氏をはじめとする
ボランティアの方々にがんばって欲しいものです。



無題 投稿者:管理人  投稿日:2009/02/05(Thu) 09:25 No.4126

随分以前の記事ですが、
今年の元旦に長崎新聞に掲載された端島の記事です。
本文中、色を付けたテキストが気になります。
ひとつまえのdoutokさんの書き込みにある、海外の人達の取材。
米仏ともにそのテーマは「過剰消費」ということらしいですが、
その端島を所有している長崎市は、新聞の記事を読む限り、
観光のことしか頭にないご様子ですね。

「観光」とは、もともと「国の光を観る」という意味。
そういった意味で観光という言葉を使っているのならいいんですが、
一般的にはそうじゃないですよね。

記事の左下には上陸ルートも提示されていますが、
それを見る限り、右側のコンベアー跡地の方へは行けないようですね。
上陸ルートはフェンスで仕切られているようですし、
ドルフィン桟橋もだいぶ、ブッ壊されたみたいです。(合掌)
 
第7ゑびす丸さんの記事に様子がアップされています

http://dainanaebisumaru.tencho.cc/e25724.html
 

Re: 無題 G - 2009/02/05(Thu) 13:45 No.4127

新聞記事、ゑびす丸さん記事とも見ました。
正直、なんだかちょっと泣けます。
ほんとに、今年の夏とか台風やり過ごせるんでしょうか…

Re: 無題 やかた - 2009/02/05(Thu) 19:32 No.4133

ゑびす丸さん記事を見る限り、かなり建物等を壊しているようですね。
軍艦島に一般の人が上陸し見学ができるのはとても素晴らしいし良い事だとは思いますが、通路等の工事により建物等が壊されるのはとても残念な事だと感じています。

Re: 無題 管理人 - 2009/02/09(Mon) 03:43 No.4135

▼Gさん、やかたさんへ

問題は、お題目が「産業遺産として観光化」っていう点だと思います。
もし隣の伊王島のように、まったく炭鉱に関係なくリゾート開発をするというのなら、
どんどん壊して行くのもしょうがないかと思いますが、
産業遺産として観光化というなら、
この手の入れ方はないんじゃないかと思います。
特にドルフィン桟橋は、拙サイトにもアップしている通り、
台風の直撃を受ける過酷な環境に打ち勝って、3代目にしてやっと完成した、
いわば海上土木の輝かしい証だと思います。
そして、船でしか外へ出られない島民にとっては、
桟橋こそ世界と繋がる唯一の場所だったと思います。
飛行場みたいな場所だったんじゃないでしょうかね。
沢山の出会いと別れが、一番思い出に残っている場所だとも思います。
 



質問させてください。 投稿者:G  投稿日:2009/02/05(Thu) 13:47 No.4128

オデッセイDVD拝見しました!
それで気になったことがあって、どうもよく解らないので質問させてください。
端島神社の真下のことなんですけど…
あそこ、どうなってる(どうなってた)んでしょうか?
山肌?崖?部屋もしくは建物がある?空間があいてる?
子どもであそこに住んでたら、ぜったい潜り込みたくなるような空間ですよね!
とても焼き付いてしまって離れません。
ぜひ教えてください!

Re: 質問させてください。 管理人 - 2009/02/05(Thu) 17:39 No.4130

▼Gさんへ

DVD『軍艦島オデッセイ -廿世紀未来島を歩く-』をご覧になって頂き、ありがとうございます。

神社の下の現在の様子は、画像を見て頂ければと思います。
斜めに切り立つ岩礁の上に人工地盤がはり出して天井を作っている様な感じですね。
これは神社へ昇る階段の横から北の方を向いて撮影したものですが、
当時はこの撮影場所から見ると、奥の方に木造の構造物が見えたと思います。
拝殿の横に付属の小屋のようなものがあって、
その小屋の人工地盤の真下に、
人工地盤をささえる鉄筋の柱が立っているレベルまで垂直にあった木造の構造物です。
倉庫として使われていたんではないか、などと聞いた事がありますが、
詳細はわかりません。

画像には岩礁にそって植物が繁殖してますが、
当時はどうだったんでしょうか。
柱越しに見える針葉樹は、操業時に植樹されたカイヅカイブキだと思います。
 
なお操業時の様子はリンクさせて頂いている『端島(軍艦島) 想像と記憶』
の端島神社のページ
http://www1.cncm.ne.jp/%7Em8512215/hasima/1goutou.html
をご覧ください。
上から5番目が閉山の時に残っていた神社ですが、創建当時のものでしょうか。
まだ2号棟も木造で、温室も作られていません。
 

Re: 一目瞭然です! G - 2009/02/05(Thu) 18:07 No.4131

ありがとうございます!よく解りました!
こんな画像もあったんですか!ひと目で解りますね。
ああ、スッキリ。
リンク先も見てきました。…というか、前に見てましたw
全然記憶になかったので、きっと当時は端島神社にあまり意識が向いてなかったのかも…

Re: 質問させてください。 管理人 - 2009/02/05(Thu) 19:17 No.4132

▼Gさんへ

画像はオープロジェクト全員を合わせるとたぶん2万枚以上あると思います。
なので『軍艦島全景』に掲載した画像やこのサイトにアップしている画像もその一部です。
例えば小中学校の全教室の画像もあったりしますが、
どういうコンテンツで出して行けばいいかを考えているところです。

サイト『端島(軍艦島)想像と記憶』は、
端島の操業時の様子を知るには本当に素晴らしいサイトです。
定期的に全部を見ると、その都度発見があると思います。
 

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