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端島無人島から34年 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2008/04/20(Sun) 15:33 No.3759

お世話になっております。
今日4月20日は端島が無人島になった日ですね。
34年前の1974年(s49年)4月20日(土)、
午後4時50分発の端島発高島経由長崎行の野母商船つや丸の便を最後に端島ー高島航路は閉鎖されました。
4月20日以降完全に無人島になり人の出入りが無くなったかと言うとそうではなくて住んでいた方々は端島から全て退去されましたが鉱業所関連や高島町役場の方達がしばらくの間は高島から船で渡り(定期船は当然無いので小船や中規模の船で)残務整理等で端島に渡っていたそうです。
鉱業所の撤去作業もS50年1月までかかったと聞いています。
ひとつの町が無くなるというのは住民が去ってしまえばハイおしまいというわけにもいかない大変な後始末があると言うことですね。
まして端島のような複雑に入り組んだ住居や炭鉱施設ならなおのこと大変だったと思います。
写真は現役中のドルフィン桟橋です。
撮影年月ははっきりはしませんが小中学校体育館がまだ建っていないようなのでS37年以降S45年以前と思われます。              おそまつでした・・・。

Re: 端島無人島から34年 管理人 - 2008/04/26(Sat) 06:34 No.3760

▼用務員さんへ

鉱業所の撤去には約1年もかかったんですね。
やはり陸地ではないので、搬出も大変だったんではないかと思います。
「住民が去ってしまえばハイおしまい」とまではいわずとも、
端島は他の産炭地に比べれば、そういう性格は強いんではないかと思います。
おかげで、住宅棟側だけでも貴重な遺産が残ってくれたんだと思いますが。

現役時代のドルフィン桟橋の様子をありがとうございます。
確かドルフィン桟橋が完成した昭和37年 (1962) に、
夕顔丸、屋島丸、高島丸、宮島丸が廃船になっていると思いますが、
これはドルフィン桟橋の落成と関係があるんでしょうか。
(単純にせい丸、つや丸が就航したからかな?)
ともあれ、せっかく艀から上陸しなくてよくなった矢先の、
社船の廃船は、心残りだったんではないかと思いました。
 



無題 投稿者:mieharu  投稿日:2008/04/11(Fri) 10:48 No.3755

春になり、桜も散り、島でも、花が、咲いて、いました。
山道あたりを、歩くと。お世話を、シテル、おじさんが、
いました。石本さん・・・知り合いの、お父さんでした。
子供たちの、楽しみでした。花を、見たり、名前を、聞いたりが・・

Re: 無題 管理人 - 2008/04/11(Fri) 13:54 No.3757

▼mieharuさんへ

山道にはお世話をしてくれるおじさんがいらっしゃったのですね。
当時も山道には花が沢山咲いていたのでしょうか。
当時の山道の写真は、どれも日が当たっていて、気持ち良さそうに感じます。

画像は道の途中にあった祠跡です。
雑草が殆どですが、今ではとても緑が育っています。
 



51号アパート内住居の台所 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2008/03/02(Sun) 11:53 No.3731

お世話になっております。
51号アパートの(階数は忘れました・・)住居内の台所を撮った写真です。
人造石研ぎの流し台。その横にカマドと端島高島に共通した炭住アパートの造りです。
用務員めもこの51号アパートの台所を見ると故郷高島の炭住アパートを思い出します。  
               おそまつでした・・・。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/03(Mon) 12:04 No.3732

▼用務員さんへ

今週も写真投稿、ありがとうございます。
高島のアパートも同じような造りだったんですね。
竃の右下に転がる石は、漬け物石でしょうか。
それにしては少し小さいような気もいたしますが。
 

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/09(Sun) 02:52 No.3733

お久し振りです。
北海道も日差しにようやく春の気配が感じられるようになりました。台所といえば、先日、生活廃水の排水管が詰まり、逆流したため、雪と土を掘り、ちょっとした運動でした。

ところで、この写真、随分状態が良く見えますが、いつ頃でしょうか。差し支えなければ。
また、今もこの程度で残っているのはどのくらいの割合なんでしょうね。

当市(芦別)の三菱関係は住宅や事業関係の建物も若干残っていますが、三井関係の殆ど一切は、撤去されてしまい、痕跡が所々に見られる程度になってしまいました。私は末期を垣間見てますが、子供らは殆ど知らず、石炭が何なのかすら、伝聞でしかなく、旧産炭地(今でも露天掘り数箇所)としては情けないです。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/11(Tue) 04:41 No.3734

▼Masaoさんへ

おひさしりでございます。

北海道も春の兆しですか!
東京も最近春の気配を感じる様になりました。
北海道の春はもっと遅いのかと思っていましたが、違うんですね。
排水管の工事はお疲れ様でした。

サイト内で告知させて頂いた山名さまの情報募集ですが、
残念ながらまだ連絡はありません。
最近では端島ご出身の方にもサイトをご覧になって頂いているようなので、
もしかしたらご存知の方がいらっしゃるかと思ったのですが。
引き続き告知は出させて頂きますので、
連絡が入り次第、お知らせさせて頂きます。

さて51号棟の様子ですが、
ご投稿頂いた端島支所下っぱ用務員さんが書かれていないのでわかりませんが、
用務員さんがいつもアップして下さる写真は、
だいたい平成7年〜平成10年くらいですので、
この光景もその頃ではないでしょうか。

51号棟という建物は不思議な建物で、
防潮を兼ねた建物として、外海側の堤防ギリギリに建てられているにもかかわらず、
室内は結構奇麗な状態で残存していますが、
理由としては、海側の2重窓の造りが考えられます。
従来の防潮を兼ねた建物は海側に廊下を設置する事で、
波浪の被害が室内へ及ぶのを防ぐ造りでしたが、
この建物は海側に居室を設置するかわりに、
窓を小さくし、窓の内側に縁側を設け、さらに内窓をもう一つ設置してあります。
台風時の波浪が堤防から高く舞い上がり、
分厚い波の壁として建物を叩き付ける映像を見た事がありますが、
あの波しぶきの猛攻撃を浴び続けてもなお室内が奇麗なことを考えると、
この2重窓は想像を超えて精巧に作られているのかとも思います。

掲示板に幾つか51号棟の様子がアップされていますので、
あわせてご覧になってみてください。

投稿番号
3701 [1]:真っ白な壁と電気メーター
3422 [8]:ポスターが奇麗に残る襖と足付きステレオ
175, 174 [24]:室内とベランダ
※[ ]内の数字は今日付けのページ番号です。

芦別は頼城小学校にちょっと寄っただけで、
産炭地の見学はしていないので、
次回北海道へ行った際には、是非とも訪れたいと思います。

メディアでは、北海道の産業遺産ツアーが人気
といった話題を目にしますが、
それも一部の限られた情報なのかとも思います。
石炭に限らず、日本を造り上げ、日本をささえた20世紀の産業を、
知ることなく育ってしまう子供達は、
ある意味不幸かもしれないと思います。
古代史を知るより、はるかに知る意味のある時代だと思います。
 

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/12(Wed) 23:12 No.3740

ありがとうございました。
山名氏の件は「想像と記憶」にもお願いしています。
彼の一年先輩とは連絡取れたらしいですが、同期とはまだのようです。パソコン世代ではなく、端島HPも少なくないようで、意外に見られてないのかもしれませんね。
山名もHPのことは知らなかったですから。

頼城小学校に来られましたか。
山名は5年生の秋に頼城小学校に転校し、そこを卒業してます。
現在の頼小校舎は彼が確か6年生の時に火災に遭った校舎の再建として、焼失しないようにと造られたものですが、その出火については彼の学級が出火元付近と推定され、当日の石けんを作る授業で使った苛性ソーダ等が原因と疑われたらしいです。しかし、出火までの時間から、結局は漏電らしいという結論になったとのことです。
「想像と記憶」BBSに書いた「芦別物語」を見ると往時の当市の産炭地をいくらか想像する事が出来ます。
芦別五山と言われ、市章にも反映していますが、それらは上芦別にあった三菱を除き、殆ど撤去されてしまい、市内の産炭地の痕跡はとても少なくなってしまい、炭鉱も数箇所の露天掘りを残すのみになりました。また、国鉄、三菱、三井、森林鉄道と4系統あった鉄道も旧国鉄一本になり、それも石勝線開通に伴い、普通列車だけになりました。
頼城の立坑を芦別市に譲る話があったけど、維持費を嫌って市は断わったとも聞きました。空知の旧産炭地の現在の財政難を鑑みると必ずしも間違いとも断言できませんけれども...。

51号棟の二重窓は興味深いですね。
北海道の住宅の殆どは防寒用二重窓ですが、ガラスの厚みもかなり違うでしょうね。

現代史や郷土史は確かに重要ですね。
歴史は現代から過去に進むのが良いという説もあり、右翼は嫌がるだろうけど、興味の流れからは、その方が良いような気もします。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/14(Fri) 03:45 No.3741

▼Masaoさんへ

お返事ありがとうございます。

山名さんは頼城小学校のご卒業だったのですね。
そして学校火災の火元としてクラスが疑われるという事件もご経験されたのですね。
あの有名な校舎が建てられる裏に、そういったエピソードがあったとは知りませんでした。
勉強になりました。ありがとうございます。
現在は通信大学として使われているのでしょうか。
ともあれ校舎(と体育館)は残ってほしいものだと思います。

産炭地は、ともすれば東京よりも劇的な変化をしたところが沢山あると思います。
全盛期の産炭地で育った方々の多くは、
思い出の場所がどこにもないご経験をされているのではないかと思います。
産炭地の現状を耳にするたびに、
人より企業が優先される時代だったという事を痛切に感じます。

> 歴史は現代から過去に進むのがよい。

という説があるのは知りませんでしたが、
最近教育関係の話をした時に、ふとそんな事を思いました。
現代から遡れば多くの出来事の意味がわかると思います。
ところが大昔から始めると、殆どが意味がわからずに進む事になると思います。

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/14(Fri) 15:03 No.3743

そうです。
頼小は通信大学の本部として使われているようです。
体育館と校舎は北海道か国の文化財指定を受けました。
疑問は、あの校舎へ2500人が登校するときはどこからどう入ったのかということで、
経験者に尋ねても合点がいきません。

産炭地の変化は劇的ですが、グラフにすると正規分布みたいな1ピークで、
それは再生産できない産業としては止むを得ないことです。今好景気の産油国はどうなるんでしょうね。

世田谷の用賀に7年半住んでましたが、東京の変化は持続的で輻輳、重層するので、
見方によっては一過性が多い炭鉱町より掴みにくいでしょう。
この辺りは、建物が無くなっても地形の多くは残るけど、人口密集地だと、
それも崩れていきますから。
そうは言っても、昔住んでいて、数十年ぶりに尋ねてきた人にとって、
衝撃的なことは確かですけど。
その点、端島は今後の整備の仕方によっては、ある程度構造物が残るだろうから、
マシかもしれません。

数十年して東京、大阪が温暖化で水没する頃には、ここの人口も増えると踏んでます。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/15(Sat) 10:23 No.3745

▼Masaoさんへ

頼城小学校は、国登録有形文化財に指定されているようですね。
体育館も一緒に指定されているのに驚きました。
あの体育館も相当古いものなのでしょうか。

産炭地と産油国には大きな違いがあるような気がいたしますが、
その違いは、資本の場所ではないでしょうか。
産炭地の場合は、いわばアメリカが中東に乗り込んで仕切りを入れたような状態だったために、
結局富が土地にとどまる事がなかんたんではないかと思いますが、
いかがでしょうか。
中東の産油国の場合は権利を自分たちが持っているので、
今、彼らは22世紀を見据えて、莫大な財力を観光等につぎ込み始めたと聞きます。
ドバイのパームツリーアイランドなどはその例ではないでしょうか。
常磐炭鉱のような変化は、産炭地のひとつの理想的な形だとも聞きますが、
どの産炭地も同じ様にできない理由があったのも事実だと思います。

おっしゃるように東京や産炭地に比べると、端島は故郷がそのまま残っていますが、
なくなってしまえば、思い出の形で残り続けるというお話を聞いたるすると、
それもそうだな、と思ってしまします。
それはそれでまた考えさせられますね。

> 数十年して東京、大阪が温暖化で水没する頃には、ここの人口も増えると踏んでます。

今から少しずつ準備しようかと思います。(^ . ^

画像は頼城小学校へ訪れた時に撮影した体育館です。
今思えば、もっとしっかり見学しておくべきだったと思います。
(なくなったわけではないので、また見学にいけばいいんですが)
 

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/15(Sat) 16:24 No.3746

頼小の体育館も一緒に燃えて、現在のはレンガ校舎と一緒に建てたとの事です。確か三井が改築費も全額出しているように聞きました。
場所も前のは校舎に向かって右だったそうです。
20年近く前に閉校になった夕張市の小学校の体育館が雪の重みで倒壊したという記事がありました。
体育館が雪に強いとは思えないので、それが心配ではあります。

確かに資本集積場所の問題はその通りですが、観光やショッピングセンターではどうなんでしょうか。
常磐ハワイアンセンターは例外事象だと思います。
もっとも、だからと言ってそこに住んでいる人がどこにも存在しなくなるということではないし、
中東産油国は元の砂漠の民に戻ればいいことですけれど。
金融業で稼いでいる地域も何箇所かありますが、保守的でもやっぱり一次、二次産業かなと思います。
国際競争の問題はありますけども。

観光用ではないけど、エジプトのピラミッドはすごいですよね。
大した維持管理費がかかっないだろうに、世界を股にして稼いでいるんでしょうから。
それと比べると現代建築は脆弱なんですね。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/03/28(Fri) 01:51 No.3749

▼Masaoさんへ

そうですか、体育館も煉瓦校舎と同じ年齢だったんですね。
体育館は木造のようなので、確かに雪の重みは気になるところですね。

> 常磐ハワイアンセンターは例外事象
確かにそうかもしれません。
> 保守的でもやっぱり一次、二次産業かなと思います。
時間がかかっても、最も地に足をつけた形で復興、
ということですね。

エジプトのピラミッドと言えば、
先日旅行会社の新聞広告で見たのですが、
今は入場制限をしているそうです。
それだけ普遍の人気があるのかと思います。
おっしゃるように維持費も、
1年中何らかの改修を行っている法隆寺とかに比べると、
それほどかからないと思います。
石造建築は凄いですね!
 

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/03/29(Sat) 20:39 No.3751

表題とは関係ないですが、頼城小学校の閉校記念誌が芦別物語でupされてます。
Topの左上の更新を押すと上の方にあります。
旧校舎の焼失が昭和28年で、その前の校舎の一部や現校舎の俯瞰や体育館の内部等が載ってます。

今年も日本中で400校位閉校らしいですね。
なんか寂しいですね。

原油高で北海道電力が石炭の増産を要請しているとの事です。増産要請なんて随分久し振りでしょう。
ただ、これから坑内掘りを復活するのはなかなか大変だから、当面は露天掘りで、地形破壊が進行するでしょう。
端島にも商業ベースの鉱脈は残っているんでしょうか。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/04/04(Fri) 00:44 No.3752

▼Masaoさんへ

芦別物語、拝見しました。
頼城小学校の閉校記念誌も拝見しました。
お話に伺った校舎全焼の写真も掲載されていますね。
その後校舎は現在の煉瓦に。
不燃性煉瓦と書いてありますが、
体育館だけなぜ木造にしたのでしょうか。
やはり通気とかを配慮したのでしょうか。
また年表を見ると、昭和35年には給食が始まっていますね。
端島で給食が開始されるのは昭和45年なので、
それから比べると随分早いと思いました。

全国で400校、閉校ですか。
少子化の波は東京でもはっきりと判ります。
至る所で、学校が使われていなかったり、再利用されていたり。

端島も、まだまだ海底には沢山の石炭が残っているものの、
相当深度が深いため「商業ベース」の鉱脈と言えるかどうかは疑問だと聞きます。
 

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/04/05(Sat) 20:50 No.3753

確かに体育館だけ木造というのもねぇ。予算の関係だとは思いますが、誰かに尋ねてみます。
もっともレンガ校舎は三井が建ててくれたと聞いたことがあります。
頼城小閉校時の大きめの写真が芦別物語に載りました。ご興味があれば。

Re: 51号アパート内住居の台所 Masao - 2008/04/05(Sat) 20:55 No.3754

間違いました。今回のは頼城中学校でした。

Re: 51号アパート内住居の台所 管理人 - 2008/04/11(Fri) 13:51 No.3756

▼Masaoさんへ

煉瓦校舎は三井によって建てられたそうでうね。
良い校舎で勉強して、卒業したら働いてね、っていう思惑があったとしても、
いい遺産を残してくれたんではないかと思います。
芦別物語は小学校の記事に限らず、ゆっくり拝見させて頂きます。
 



30号7階階段より灯台方向を見る 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2008/03/23(Sun) 13:02 No.3747

お世話になっております。
30号7階から屋上に上がる階段より灯台貯水タンク方向を撮りました。
H8年5月撮影です。
初代灯台のサビが目立ちますね。 
               おそまつでした・・・。

Re: 30号7階階段より灯台方向を見る 管理人 - 2008/03/28(Fri) 01:57 No.3750

▼用務員さんへ。

今週も写真のご投稿、ありがとうございます。
30号棟最後の階段ですね。
10年くらい前は、まだ木製手摺があったんですね。
30号棟の階段を昇り降りする時に、
いつも「こんな怖い階段、よく歩けたなぁ〜」
と思っていましたが、そうですよね、手摺があったんですよね。

ところで頂上部分をみるといつも気になっていたのですが、
貯水タンクや3号棟の海側周辺の隆起した岩場
(添付のお写真だと貯水槽の下の岩肌が白く見える部分)は、
自然の岩礁の露出部分でしょうか。
それにしては随分と人工的だなぁ〜といつも思っています。
 



はじめて書き込みさせていただきます。 投稿者:G  投稿日:2008/03/11(Tue) 13:21 No.3735

いつも(仕事中に)こっそり楽しんでいます。
はじめてここに書き込みしたのは、友人が先週末(3月8〜9日)に長崎を訪れたそうです。
「さるく」を通じてクルーズの申し込みをしていたところ、「人数が足りないため、出港できないかもしれない」と連絡があり(よく聞きますね)、心配していたところ、理由が二転三転したという話しでした。
「人数が足りない」「船が壊れて出せない」、最後には「上陸計画があるため、3月・4月は運行を中止しました」と連絡がきたらしいです。(旅行直前だったらしいです)
友人は、「それが本当の理由なら、最初から解っていたのではないか?」とか「船が壊れるって、言い訳なんでしょうか?」と、かなりがっかりしていた様子です。
さるくHPなどにも調べに行きましたが、らちがあきませんでした。
なにか、今の端島状況で解る事があれば…と思い、書き込みさせていただきました。
的外れなことでしたら、申し訳ありません。

Re: はじめて書き込みさせていただきます。 管理人 - 2008/03/12(Wed) 04:35 No.3737

▼Gさんへ

いつも軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうございます。

ご友人の方が、クルージングであまり意味の分からない対応をされたそうですね。
さるくでのクルージングに関しては詳しく知らないので、なんとも申し上げられませんが、
確かに上陸計画による3月、4月の運休であれば、
これは事前に分かっていて良い筈ですね。

さるくでのクルージングは単純に端島の周遊ですが、
隣の島、高島が企画する「軍艦島・高島巡遊」は、
端島の周遊はもとより、端島と同じ炭鉱の島だった高島のガイドツアーや、
南長崎の海産物をメインにした昼食もついて、
とてもお薦めのクルージングです。

●軍艦島・高島巡遊
http://e-takashima.net/saruku.html

また地元の方々が運航されているクルージングをご利用なさるのも一考かと思います。
地元の方々のクルージングは、予約さえ入れておけば、
時化にならない限り、出航してくれます。

●海上タクシー「美津丸」
http://www1.odn.ne.jp/%7Ecbt74430/

●第七ゑびす丸
http://dainanaebisumaru.web.infoseek.co.jp/kuruujinngu-1/kuruujinngu.html

他にもいろいろな所から出航しています。

ご友人の方も、折角長崎まで行かれたのに、
端島をご覧になれなくて残念でしたね。
もう少しお調べになれば、きっと端島の勇姿をご覧になれたと思います。
 
画像は高島に残る高層アパートです。
年々すこしずつ解体されていると聞くので、
リアルな炭鉱アパートを見学できるのもあと僅かだと思います。
是非次回は高島へ行かれる事をお進めします。
 
※現在、美津丸さんは休業されているようです。
 

Re: ありがとうございました! G - 2008/03/12(Wed) 11:11 No.3738

高島の画像、初めて見ました!ありがとうございます!
友人とは、次回また改めて一緒に端島(高島も興味沸いてきました)に行こうねと話しました。(友人は博多なので、私に合わせてくれるそうです…早く行きたいものです!)
それまでは、こちらで少しずつ背景や歴史など勉強して行こうと思っています。
丁寧なお返事、本当にありがとうございました!

Re: はじめて書き込みさせていただきます。 管理人 - 2008/03/12(Wed) 17:53 No.3739

▼Gさんへ

そろそろ暖かい季節になって来たので、
島巡りも気持ちいいかと思います。
高島は石炭資料館も奇麗に改装され、貴重な資料が沢山展示されているので、
それも併せて行かれる事をお勧めします。

また端島と高島の間にある中ノ島もお勧めです。
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-01-12.htm
この島も、もとは炭鉱の島でしたが、
明治時代に閉山し、その後端島の火葬場として使われた島です。
そういった歴史を見学するのもいいですし、
単純に無人島(現在は無人島です)探検でもいいと思います。
こちらもお勧めです。
中ノ島へは上記の第七ゑびす丸が島渡しをしてくれます。

画像は中ノ島の島内。
アメリカの人気ドラマ『LOST』の世界、とまではいきませんが、
結構探検しがいのある島です。
 

軍艦島クルージングに関して 管理人 - 2008/03/14(Fri) 04:09 No.3742

コメントを頂いたあと、関係各所のお話を伺いました。

まずひとつ訂正があります。

「軍艦島・高島巡遊」のクルージングも、さるくの一環で行われているものでした。
こちらの勘違いですので、申し訳ありませんでした。
そして現在「軍艦島・高島巡遊」は、クルージング用船舶の不調により、
運休しているという事でした。

また端島上陸への準備に関連して、別のクルージングが運行を見合わせているのも事実だそうです。

これらの話を総合して考えると、
ご友人の方が対応を受けた就航しない理由、
「人数が足りない」「船が壊れて出せない」「上陸計画があるため、3月・4月は運行を中止しました」
は、クルージングを行っているそれぞれの船に当てはまるものだと思います。
ですので、上記の理由は、就航しない理由が次々と変わったのではなく、
色々な船に問合せをし、そのどれもがそれぞれ上記の各理由で就航出来ないということだったのではないかと思います。

なお、現在クルージングを行っているのは、
中ノ島のコメントでも触れた、第七ゑびす丸さんだけ、
ということになります。

Re: ありがとうございました! G - 2008/03/14(Fri) 19:48 No.3744

わざわざ調べていただいたんですね!お手数おかけしました。
ありがとうございます。

なるほど…どれも本当のことでしたか。
なかなか連絡が取れなかったとかいろいろ聞いていたので、つい悪くとってしまったこちらも悪かったと思います。失礼しました。

まだ次回いつ行こうとかの計画があるわけではありませんが、こちらで教えていただいた高島や中の島にも、友人共々とても興味が湧いてきました。
次回行けるようになれば、ぜひゆっくりと時間をさいて、その場所独自の空気感を感じてきたいと思います。
もちろん、それまでにいろんな知識も得て、わくわくしながら待っていようと思います!
本当にありがとうございました。

Re: はじめて書き込みさせていただきます。 管理人 - 2008/03/28(Fri) 01:44 No.3748

▼Gさんへ

そうですね!行かれる時は、
高島、中ノ島、セットで行かれる事をお薦めします。
お時間と予算が許せば、ですけどね(^.^ゞ)
 



おひさしぶりです 投稿者:SK  投稿日:2008/02/26(Tue) 15:23 No.3728

最近、1975年に無援舎が製作した端島の映画を見る機会に恵まれました。閉山1年後の端島を見るのは初めて、とても勉強になりました。端島の営みについて、島に残されているものを通して色々と感じることができるものだと、改めて感じています。

映画で印象的だったのは、やはり離島にあたって書き残されていたメッセージでした。最後まで営業していたとされる鐘ヶ江酒店の閉められた茶色い雨戸の上に、はっきりと白い文字で「さようなら、お元気で、かねがえ酒店」とありました。閉店案内ではない、このメッセージに目が釘付けになりました。心の温もりを感じにくい現代だからこそ、ビジネスとしてではない、真心がこめられたこの手書きの言葉が、昭和を駆け抜けていった端島というコミュニティを象徴しているのではないかと強く感じました。4月17日で閉鎖いたしますという端島郵便局の張り紙も、映画の中に出ておりました。

私も産業論について研究するようになってはや○年、ぼちぼちと学会報告や学会誌上に論文を発表させていただいていますが(私は電機産業が専門なので・・・)端島には40年以上前に製造された家電品が残されており、当時どういった家電メーカーが支持されていたのかはたいへん興味のあるところです。オール金属の扇風機、球体に近いブラウン管テレビは「製造期や製造番号を見たい」と思わず声に出してしまいますね(笑)。貴HPで紹介されている製品にはすでに実物を見ることができないものも多く、私にとっても貴重な史料です。いつも多くの写真を掲載下さっていること、感謝いたしております。

Re: おひさしぶりです 管理人 - 2008/02/28(Thu) 00:15 No.3730

▼SKさんへ

おひさしぶりです!
って、「SK」だけではちょっと判りずらいので、
もう少しヒントを頂けるとありがたいのですが。。。

最近ですが私も『模型の国』を観ました。
鐘ヶ江酒店の雨戸に残されたメッセージは印象深いですね!
前ふれこみで音楽がかなり気持ち悪いといった話を聞いていたので、
どれほど恐く気持ち悪いかと思って観ましたが、
曲は時代を良く表している音でした。
70年代といえば、アングラ、アヴァンギャルド系、そして公害系の映像には、
だいたいこのノリの音楽が付いていたのを思い出します。

端島が閉山した時代は、まだ世の中にそれほど大規模な産業廃墟がなく、
また歴史を紐解くまでもなく、
誰もがその存在の意味をそれなりに知っていた時代だと思います。
もしこの作品に恐さを感じるとしたら、
それは心霊やオカルトのような恐さではなく、
虚無感からくる恐さだと思いました。

サイト内にアップしている家電製品の機種名や価格は、
全てそれぞれのメーカーに画像とともに問い合わせた結果、
帰って来た返答をもとに編集していますが、
その殆どがサイトにアップしきれない詳細情報まで帰って来たのには驚きました。

画像は製造年や製造番号までは見えませんが、
筐体が壊れて内部が露出していたテレビです。
なにかのご参考になればと思い添付しました。
 



初めまして 投稿者:  投稿日:2008/02/19(Tue) 21:39 No.3726

初めまして、祭と申します。
祖父が端島出身で、幼い時からよく話を聞いていました。
とても人間味溢れて、今では考える事のできないような
子供達の交流、近所付き合いがあったそうです。
その祖父も一昨年に亡くなり、今では話を聞く事はできませんが
このサイトを拝見し、すごい所だったんだな、と切に感じています。
来年の春、一般の見学ができるようになったらぜひ行ってみたいと思います。
短くなりましたが、これからも頑張って下さい。

Re: 初めまして 管理人 - 2008/02/20(Wed) 04:55 No.3727

▼祭りさんへ

はじめまして。軍艦島オデッセイをご覧になっていただきありがとうございます。
おじいさまが端島のご出身だったそうですね。
人間味溢れる島だったとお話になられたおじいさまにとっては、
きっと端島は素晴らしい島だったんだと思います。
今では考えられないような人の交流こそ、
この島の一番の凄さだし、素晴らしさだったんじゃないかと思います。

来春公開されるといいですね。
そうすれば、おじいさまのふるさとをお感じになれますね。

画像は島内最大の建物、65号棟の廊下です。
かつてはこの廊下に沢山の人が集い、
井戸端会議が開かれていたんではないでしょうか。
 



14号職員アパート屋上より3号職員アパート方面を見... 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2008/02/17(Sun) 12:29 No.3717

お世話になっております。
14号職員アパート屋上から3号職員アパート方面をずーっと右へ流して写しました。
3号職員アパートが立ちはだかるような感じで圧巻だったのを覚えてます。
端島ならではの光景ですね。  
3枚つづけて貼ります。
まずは1枚目。

Re: 14号職員アパート屋上より3号職員アパート方面... 管理人 - 2008/02/18(Mon) 00:22 No.3722

2枚目です。
こちらへ移動しました。

Re: 14号職員アパート屋上より3号職員アパート方面... 管理人 - 2008/02/18(Mon) 00:23 No.3723

3枚目です。
こちらへ移動しました。

Re: 14号職員アパート屋上より3号職員アパート方面... 管理人 - 2008/02/19(Tue) 04:32 No.3725

▼用務員さんへ

今週もご投稿ありがとうございます。
移動しましたが、これで宜しいでしょうか?
どうも投稿に関して、調子が悪いようですね。
なにが原因か、また調べてみます。

14号棟の屋上から3号棟を眺めると、
確かに立ちはだかっていますね。
3号棟は「睥睨する」とか「監視する」といった感じを連想する建物だとも想います。

画像は頂いたものを、ちょこっとつないでみました。
処理とか適当ですが、見渡した感じが判るかと思いました。



はじめまして! 投稿者:hasymo1978  投稿日:2008/02/12(Tue) 23:57 No.3715

楽しく拝見させて頂いています。 このサイトに出会えて嬉しく思います。今後、軍艦島が一般に公開されるそうですね
!本当に楽しみです。それと、島内にあるアパートは、出来る事ならば保存してもらいたいと思います。私が生まれ育った所は、福岡県南部の炭鉱の町でした。この町にも、ほとんど炭鉱の社宅は残っていないと聞いています。炭鉱のアパートや社宅は、そこで生活をされてた人々の雰囲気を感じとる
事が出来る所だと思います。それでは、軍艦島に関する情報を期待しています。

Re: はじめまして! 管理人 - 2008/02/13(Wed) 03:26 No.3716

▼hasymo1978さんへ

はじめまして!軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうござます。

今年の一般公開はどうやら延期のようですが、
近い将来、すこしづつ上陸できるようになるんではないでしょうか。

福岡県南部というと、三池炭鉱のご出身でしょうか。
三池は何度か訪れていますが、
まだまだ見学していない所が沢山あるので、
また行きたいと思っています。

端島の住宅は、その特殊な環境から、
住宅棟も他の炭鉱地域とは違った形ですが、
特殊な例として保存されるといいと思います。
実物こそ、生活されてた人々の雰囲気を感じる事のできるものだと思います。

ただ建物全部を現状維持で保存するとなると、
莫大な費用がかかるとも聞きます。(容易に想像できますね)
気がついた時には壊れてしまっていた、
ということも十分考えられるので、そうならないうちに、
少しでも端島の様子を残しておければと思っています。

端島のことで新しい情報がわかりましたら、
掲示板等でお知らせして行ければと思っていますので、
また遊びにいらしてください。

画像は日本最古の鉄筋アパート、30号棟と、
隣接して建つ31号棟です。
通常の炭鉱住宅の風景から考えると、
ずいぶんかけはなれている風景だと思います。
 



無題 投稿者:みえはる  投稿日:2008/02/06(Wed) 12:17 No.3713

雪が、降るなんて、おかしいですが、あったらしいですよ。島でも・・41年、か42年頃。。暖かいはずなのに・・遊び場

Re: 無題 管理人 - 2008/02/07(Thu) 02:50 No.3714

▼みえはるさんへ

やはり端島で雪が降るのは「おかしい」といった感覚なのでしょうか。
41年か42年に雪が降ったそうですね。
写真家、奈良原一高さんの写真集『人間の土地』に登場する端島には、
けっこう雪が積もってます。
発表が昭和31年 (1956) なので、その年も降ったのではないでしょうか。
また2003年の冬に長崎へ行った時には雪が降っていて、
福岡や佐賀ではかなり積もってましたが、
端島には積もる様子はなかったようですね。
33年ぶりの積雪と聞いたので、閉山間際にも降ったのかな?と思いました。

画像はその2003年冬の端島。
夏と比べると、とても冷たい印象でした。
 

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