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あけましておめでとうございます 投稿者:管理人  投稿日:2008/01/01(Tue) 04:51 No.3682

軍艦島オデッセイをアップして約2年余がたちました。
訪問して頂いた沢山の方々、掲示板に書き込みをして頂いた方々、
本当にありがとうございます。

端島が稼働していた時代の映像をよく観ます。
その中で一番記憶に残っているのは、そこに写っている人たちの、
力強く、そして豪快な笑いっぷりです。
現代の、沢山人がいる場所を写した映像に、
あんな笑い方をしている人が写っているのを観た事がありません。
それは失うモノより生み出すモノのほうが多かった時代の笑い顔なのかもしれないと思います。
そしてその笑顔は、端島に限らず、
その時代の誰もが持っていた笑顔かもしれないと思ったりします。
その笑顔のおかげで今日の豊かな日本があるのだと思いますが、
豊かになったと思える現代、
人は、その時代より笑っているのかな?と思います。

今年予定されていた端島の一般上陸は、どうやら先へ延びたようですが、
どんな形であれ、
端島の歴史の中ではそれほどたいしたことでもなく、
たとえ変だったりおかしな形だったとしても、
サイト内にも書いたように、
それを飲み込んであまりある度量の深さを、端島には感じます。
上陸の計画がしっかりとしたものならものなだけ、
それに答えてくれるような気もするし、
そうでなかったらそうでないだけのものになるような、
そんな気がします。
ただ可能なら、かつて端島にあふれていた笑顔を感じられるような、
そんな上陸だったら、とてもいいなと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

画像は鉱業所の夜明けです。
人の呪縛から解き放たれた島は、今日も自然に身を任せて、
ポッカリと浮かんでいると思います。
 



復刻版 岩波写真文庫 石炭 投稿者:管理人  投稿日:2007/12/27(Thu) 01:02 No.3681

オープロジェクトのメインサイト『廃墟賛歌 -Ruins Anthem-』
http://www.gunkanjima.ne2.jp/
からリンクさせて頂いている、
足尾研究会の橋本氏から教えて頂いた、
『復刻版 岩波写真文庫 49 石炭』
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/2/0282040.html

初版が1951年というかなり古い時代の炭鉱紹介本だけあって、
その内容は勿論、装丁やデザインまで含めて、
時代を感じるとこのできる一冊です。

北九州の産炭地を例に取り上げながら、
石炭の生成から炭鉱のしくみ、炭鉱での生活を、
多数の写真やイラストとともに紹介しています。
特に前半を費やして展開される坑内・坑外施設の解説は、
生きた炭鉱の話が見られる本がめっきりなくなった昨今、
かなり重宝するものではないかと思います。

巻末には特殊な環境の炭鉱施設として、特に端島のページも設けられ、
まだ木造の建物が沢山あった頃の写真も掲載されています。
また炭鉱施設のページにも、石炭が山積みされた鉱業所の写真等があり、
端島の昔を知る意味でも、貴重な一冊だと思います。

そしてもうひとつの魅力は735円という値段の安さ。

お薦めです。



無題 投稿者:ももかん  投稿日:2007/12/25(Tue) 18:10 No.3677

また質問すいません・・・。

サイト内に端島の建物の破損度が載っていますが、今年など、ごく最近新たに壊れた建物はありますか?
今年は壊れていなかったとしたら、一番最近に壊れた建物は何ですか?


軍艦島一般公開、やっぱり延期になるのですね…。
残念です…。

Re: 無題 管理人 - 2007/12/25(Tue) 22:21 No.3679

▼ももかんさんへ

「壊れた」という表現の度合いによりますが、
全ての建物が、日々、少しずつ崩れてはいると思います。

ただ、おおまかに言って建物の形がなくなったものを、
サイトページのMAP+DATA
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS23-01.htm
に▲:ほぼ全壊か完全に消滅と△:一部残存で記載しました。

この中で、どの建物が一番最近壊れたのかはわかりませんが、
映画館(昭和館/50号棟)は平成三年 (1991) 年の台風19号で、ほぼ全壊し、
現在のように入口部分だけが残る形になってしまったと言われています。

また
鉱長社宅(5号棟)は、平成七年 (1995) には、まだ建物らしき形をしています。
廃墟賛歌 / 軍艦島 / lon-sinさんの「あまり知られていない軍艦島」 No02
http://www.gunkanjima.ne2.jp/Gunkanjima-lon02.htm
の右上をご覧になってください。
ですが、2000年代に入るとほぼ全壊しているので、
その間に崩れたと思います。

また65号棟と57号棟の間にあった生協市場も
リンクさせて頂いている、柿田氏のサイト『軍艦島』のページ
http://www.kakita-photo.com/g/g04/g014.html
をご覧になって頂ければとおもいますが、
平成四年 (1992) にはまだありますが、現在はありません。
 

Re: 無題 ももかん - 2007/12/26(Wed) 11:43 No.3680

またこんなに詳しく回答してもらってありがとうございます。
論文頑張ります・・・。
それではまた。



軍艦島一般公開、延期。 投稿者:管理人  投稿日:2007/12/24(Mon) 04:34 No.3676

リクルート社のじゃらんリサーチセンターが発行する、
地方自治体および観光関連事業者の情報誌『とーりまかし』vol.10に、
軍艦島一般公開が延期される記事が掲載されまた。

長崎市の観光企画課の方のインタビューで、
「2008年に整備を終えて一般の方に上陸していただこうと思っていたのですが、
関係機関との調整に時間を要しており、
少なくとも一年はあと倒しになりそうです。
軍艦島を完全保存となると100億円以上はかかるでしょう。
そこで、最低限の整備をして島の雰囲気を感じてもらおうと思っています。」
と掲載されています。

一応長崎市へ問い合わせたところ、
期日はまだはっきりしないものの、
2008年春に予定していた一般上陸は延期になる
というお答えをいただきました。
やはり端島の整備には予想以上に工費がかかるようです。



戦時中の端島の建築物について 投稿者:ももかん  投稿日:2007/12/19(Wed) 17:58 No.3671

早速質問失礼します。
端島は戦時中も鉄筋コンクリート造の建物が建てられた珍しい島ですが、一体なぜ戦時中に建物が建てることが出来たのでしょうか?
また、政府もなぜ端島に限り許したのでしょうか?
資材などが枯渇していたはずなのに、どこから調達したのでしょうか?
端島のことを調べていて、常にひっかかっている疑問の一つです。
よろしければご回答お願いします。

Re: 戦時中の端島の建築物について 管理人 - 2007/12/20(Thu) 00:20 No.3673

▼ももかんさんへ

戦時中になぜ65号棟だけ建設されたかについては、
サイト内の軍艦島概説/コンクリートの森/西洋近代建築と日本の伝統建築の融合
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-04-05.htm
で触れているので、ご覧になって頂ければと思います。

要約すると、
鉄を作るのには鉄鋼石とともに石炭を原料とするコークスが不可欠で、
鉄の需要が特に高かった戦時中に、国内でもトップクラスの良質な石炭を産出した端島が、
国から手厚い保護を受けていた事が大きな要因だと思います。

『軍艦島実測調査資料集』には、この件に関して、
「軍事基地並みの建設」とまで表現していることからも、
当時、どんだけ石炭が大事だったかがわかります。

つまり許したのではなく、奨励し援助したという感じでしょうか。

ただしこの建物は国立の建物ではなく、あくまでも三菱の建物でした。
三菱刊行の『三菱鉱業社史』には、三菱が経営した炭鉱に付随する炭鉱住宅の出資元に関して触れています。
それを見ると、他炭鉱のアパートは石炭増産政策によってできた融資制度で建設されたものが多い中、
端島炭鉱のアパートは、その殆どを自社資金で建設したと記録しています。
そこには闇に包まれた、計り知れない計画が暗躍していたかもしれませんね。

画像は崩壊が進む65号棟です。
戦中唯一の巨大建築というだけでなく、
そのデザインもとても貴重な建物なので、
残って欲しいと思います。
 

Re: 戦時中の端島の建築物について ももかん - 2007/12/20(Thu) 08:48 No.3674

詳しい返信ありがとうございます。
「奨励し援助した」のですか。目からうろこが落ちました。
しかし戦中の歴史というのは闇に包まれた部分が多いものですね・・・。

Re: 戦時中の端島の建築物について 管理人 - 2007/12/21(Fri) 01:45 No.3675

▼ももかんさんへ

> しかし戦中の歴史というのは闇に包まれた部分が多いものですね・・・。

戦時下は、今とは全てが全く違う時代だと思います。
良い事も悪い事も、今では想像できないような事が沢山あったと思います。

またいつでもいらしてくださいね。



初めまして 投稿者:ももかん  投稿日:2007/12/17(Mon) 15:46 No.3666

初めまして。ももかんと申します。以後お見知りおきを。
よくこのサイトを見ています。
端島好きが高じて、現在卒業研究の題材としてこの島のことを調べていますが、私の学力不足もあり、分からないことが出てきてしまいました。
もしよろしかったらお暇な時にでも質問に答えては下さらないでしょうか。
だめな時はだめとはっきりおっしゃってくださって結構ですので。
主に質問する内容は現在の端島の建築物の具体的な倒壊具合や昔の端島の人口増減量などになると思います。
ではまた。

Re: 初めまして 管理人 - 2007/12/18(Tue) 01:43 No.3667

▼ももかんさんへ

はじめまして。いつも軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうございます。

わからない事も沢山あると思いますが、
メイルか掲示板へご質問を頂ければと思います。
メイルアドレスはトップページにございます。
また掲示板へ頂ければ、
掲示板内へ出来るだけお答えさせて頂きます。

画像は公民館と役場のビルの間に押し寄せる、映画館の瓦礫です。
島内で最も崩壊している場所の一つです。

Re: 初めまして ももかん - 2007/12/18(Tue) 14:50 No.3668

お返事ありがとうございます。


心強いお言葉、感謝しています。
ところで早速一つ質問なのですが、ここの画像って使ってもいいのでしょうか?
現在の端島の状況がとても分かりやすい写真なので、もしよろしければ、使いたいのですが・・・・・・。
卒業研究は学校内部だけのものであり、外部に公表する事はないと思います。

Re: 初めまして 管理人 - 2007/12/18(Tue) 19:20 No.3669

▼ももかんさんへ

画像下の注釈に「○○から引用」
あるいは「○○さんに提供していただいたものです」
とあるもの意外でしたら、
卒業制作のための素材という事ですので、
お使いになって頂いてかまいません。

Re: 初めまして ももかん - 2007/12/19(Wed) 15:07 No.3670

画像のこと、ありがとうございます!!
では、また質問に来ますね。
その時はよろしくお願いします。



か〜っこいい〜 投稿者:コバテック  投稿日:2005/10/11(Tue) 01:37 No.30 <HOME>

はじめまして。ミクシイからきました。

すごい!かっこいいサイトですね!感動です^^

島内の様子や時代背景まで分かりやすいです。ボリュームたっぷりなんでゆっくり拝見させていただきます。

僕もブログで軍艦島について書いてあるのでよければご覧になってくださいね。

ありがとうございます! 管理人 - 2005/10/11(Tue) 05:55 No.31

▼コバテックさんへ
ありがとうございます!
コバテックさんのblogも、ちょこっと拝見しました〜!
島内を詳しく探索されていて、楽しませてもらいました。
48号棟の椅子は、まだ頑張ってるみたいですね(笑)

画像は映画館<昭和館>の瓦礫の下にある構造物の一部ですが、
場所からしてスクリーンがあった近辺なので、その関連部分だと思います。

国立の駅前に<邪宗門>というカフェがあって、
そこの店長は戦前戦後と米軍の慰安手品団の一員だったそうですが、
軍艦島へも慰安に招かれたことがあるそうです。
ショーは映画館の舞台で行ったそうですが、
とにかく「立派な映画館だった」という印象が残っているそうです。

この店長、御年90才とも聞きますが、
髪をオレンジに染めた、ぶっ飛び店長です!
国立へお越しの際は、是非行かれてみるといいと思います。
 

添付した昭和館の遺構に関して 管理人 - 2007/12/14(Fri) 04:29 No.3665

サイトを立ち上げた頃頂いたコメントへの返信に添付した、
昭和館の遺構に関して。

上記のように、スクリーンがあった付近の関連施設とだけ書きましたが、
これは外壁の一部だと思われます。

『軍艦島実測調査資料集』に掲載された昭和館の立面図を見ると、
正面玄関とは反対側の北側の壁面の上部、
およびステージ横にあった、建物からはみ出した造りのトイレ外壁の上部が、
画像のように三角形の形をしています。

ただ気になる点は、画像の三角形部分の溝が4段あるのに対し、
実測資料集の立面図では、北面壁とトイレ外壁共に、3段に描かれています。
1段省略したのかとも思いますが、
それ以外の外壁部分の凹みにはしっかり4段描かれているので、
あえて北面壁とトイレの壁は3段に描かれたのだと思います。

実際、実測資料集の前半に掲載された写真を見ても、
北壁面の凹みは3段、それ以外の側面外壁の凹みは4段で写っています。
ただ実測資料集掲載の写真に、トイレの外壁がないので、
もしかしたらトイレ外壁上部の凹みは4段だったのかもしれません。

詳細がわかりましたら、また報告させて頂きます。



お邪魔いたします 投稿者:ich  投稿日:2007/12/13(Thu) 21:23 No.3663

北海道在住34歳会社員です。父親が炭鉱職員だったせいもあってか、幼い頃CMで見た軍艦島は強烈なインパクトでした。いつか訪れてみたいと長年思っておりましたが、来年それが実現できそうですね。ただ・・・どなたかもおっしゃっておりましたが、果たしてそれが軍艦島にとって良いことなのだろうかとも考えてしまいます。離れて久しいですが、私が生まれ育った街も今は廃れていくのみといった状況です。中にはオカルト的な意味合いでメディアで紹介されるのを見ると些か憤りすら感じます。端島の元島民の方も気持ちも痛いくらいわかります。こちらのサイトを始めて拝見いたしましたが、管理人さんの軍艦島に対する愛情と心遣いが伝わってきます。また、お邪魔させていただきます。

Re: お邪魔いたします 管理人 - 2007/12/14(Fri) 02:48 No.3664

▼ichさんへ

軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうございます。

エジプトのピラミッドのように、
その文明も歴史も直接の子孫も全てなくなっている廃墟ならともかく、
北海道の炭鉱跡も、また九州の炭鉱跡も、そして全国に残る廃墟となった産業の跡の殆どが、
そこで生活し、仕事をされた方がまだ生きておられる場所だと思います。
そう考えると、オカルト的な取り上げ方をすることには、疑問を感じますね。

一般公開に関しても、公開すること自体の良し悪しよりも、
どういう目的でどう公開するかが問題だと思います。
どういう形かわかりませんが、
良い形での公開であれば、沢山の恵みをもたらしてくれるとも思います。

端島はもとより、日本各地の産業遺産の歴史は、まだ終わっていないと思いますし、
そこにいた人たちも、まだ沢山ご存命です。
それらをどう取り扱うかが大変なところだと思います。

ちなみに今年の春、メディアで報道された、来春(2008春)の一般公開ですが、
どうやら大幅に延期になるようです。
詳細がわかり次第、掲示板等でお知らせできればと思っていますので、
またご覧になってください。

画像は島内最大の建物、65号棟の屋上に、
モアイ像のように並ぶ竃の煙突です。



はじめまして 投稿者:yasutaka  投稿日:2007/11/21(Wed) 23:55 No.3646

管理人さま、みなさま、はじめまして。
私は作家を目指して執筆活動をしている者です。
私は、端島出身のシンガーソングライターである故・岡崎律子さんのことを書きたく、彼女が少女時代を過ごしたこの島のことをもっと研究したいと想っています。

直接、端島とは無関係な書き込みをしてしまい、すみません。
でも、端島出身の方で岡崎さんの事をご存知の方(同級生だった方や、恩師だった方など)は、いろいろと彼女の事を教えて欲しいと想います。
2008年の春には、端島が一般公開されるのだそうですね。
岡崎さんが少女時代を過ごしたこの島を、私も訪れてみたいです。
私情ばかり書いてしまってすみません。
ご迷惑でなければ、また書き込みにお邪魔させてください。
それでは。

Re: はじめまして 管理人 - 2007/11/22(Thu) 12:00 No.3648

▼yasutakaさんへ

岡崎律子さんを題材に小説を書かれるそうですが、
珍しい題材なんではないかと思いました。
岡崎さんの事は殆ど存じませんが、
きっと沢山のエピソードがあるのでしょうね。
歌は聴いた事がありますが、
あの過酷な環境の端島のご出身とは思えない、
やさしい歌声だった印象です。
執筆、頑張って下さい。

▼掲示板をご覧になった皆さんへ

岡崎律子さんの情報をご存知の方がいらっしゃったら、
この掲示板でも、yasutakaさんへ直接でも、
ご連絡頂ければと思います。

画像は頂上付近に建つ職員アパートと朝日です。
岡崎さんもこんな朝日をご覧になっていたのでしょうか。

Re: はじめまして yasutaka - 2007/12/11(Tue) 03:25 No.3656

管理人さまへ

お返事頂きまして有難う御座います。
また、お礼のお返事が遅くなりまして申し訳ありません。

最近、嘗て岡崎律子さんが軍艦島に住んでいらした小学生当時に同級生だったというウチダトオル氏(漢字表記は不明)から3年ほど前にメールを2〜3度戴いていたことを想い出し、何千通ものメール記録の中からその時に戴いたメールを捜し出して読み返しました。
すると、岡崎さんは3号棟に住んでいて、「長崎県西彼杵郡 高島町立端島小学校」に在学していたということなのです。
3号棟は現在も現存しますか?
また、端島小学校の建物も現存しますか?

ウチダ氏は「岡崎さんは、島が全島完全閉山になる何年か前に、他の島民の方達より一足早く離島したような記憶がある」とも述べていらっしゃるので、もしも他の島民の方達より先に離島してしまっているのであれば、その後に別の一家の方が入居された可能性がある為、3号棟の、どのお部屋にお住まいだったのかは今となっては調べようが無いのかもしれませんが、もしも3号棟が現存するようでしたら、いつか島を訪れた際にどのようなお部屋で生活していらっしゃったのか見てみたいのです。

(長文で申し訳ありません)

Re: はじめまして 管理人 - 2007/12/11(Tue) 18:51 No.3657

▼yasutakaさんへ

岡崎さんにまつわるお話を、ありがとうございます。
何千通ものメイルからお探しになったそうですね。お疲れさまです。
そうでうか、岡崎さんは3号棟にお住まいだったんですね。
3号棟は現在もちゃんとあります。
しかも島のてっぺんなので、海上からでもよく見えます。
この建物は特に幹部職員用の住宅だったと聞きくので、
岡崎さんは、とても育ちのよい方だったのかと思いました。

閉山の何年か前でしたら、
その後誰も住む事はなかったかと思うので、
おそらく岡崎さんの部屋はそのままではないかと思いますが、
なんせ島の頂上にある建物なので、
一般公開されても建物を見学できるようになることは、
残念ながら、恐らくないと思います。
それでも上陸が実現すれば、間近で見る事はできると思いますが。

以下に3号棟と小中学校の画像をアップしておきます。

3号棟 管理人 - 2007/12/11(Tue) 19:04 No.3659

▼yasutakaさんへ

3号棟です。
島のほぼ中央、岩礁のかなり高い所に建つので、
海上のどこからでもよく見えます。

下左は室内の風呂場跡です。
海底水道が開通して、潤沢な水が確保できたとはいえ、
島内の風呂はその殆どが閉山まで共同風呂でした。
そんな中アパートの室内で唯一風呂が設置されたのが、
高級職員アパートだった3号棟です。
ご覧のようにとてもゆっくり入れるスペースはありませんが、
土地の少ない島では、しょうがなかったのかもしれません。

下右は屋上からの眺望です。
3号棟の屋上は、最も高い位置になるので、その眺望は抜群です。
これは北方面を眺めた光景ですが、
中ノ島、高島が海上にみえます。

島内では恐らく最も環境がよかったアパートの一つだと思います。
 

70号棟<端島小中学校> 管理人 - 2007/12/11(Tue) 19:20 No.3660

▼yasutakaさんへ

端島小中学校(70号棟)です。
建設当時は国内最高層といわれた学校ですが、
これもまた島の狭さを物語るエピソードだと思います。

下層階が小学生、上層階が中学生用として使われた他、
技術室、裁縫室、化学実験室などの専門教室、そして大講堂まであった、
大規模な学校でした。

校舎は島の北端に建つので、周囲に遮るものがあまりなく、
眺望抜群の学校だったと思います。
北や東は海越しに野母半島や高島が見え、
また南側には一面鉱業所が広がっていたと思います。
(画像上右)
鉱業所の敷地は、今では野草が生えた更地が見えるだけですが、
当時は様々な施設が間近にみえて、リアルな社会科見学が出来たんではないかと思います。
ちなみに、右側の岩礁の上に建つのが3号棟です。

玄関には生徒作品と思われるモザイク壁画が残されています。(下左)
島影からいって南側から島をみた光景かと思いますが、
色使いの濃さは、島に生きた人たちの、力強さを感じるようです。

教室内には当時のものが沢山残存しています。
画像下右は教室の角に残っていた島の模型。
かなりの大きさがあります。

給食用ですが、島内で唯一エレベーターが設置されたビルでもあります。
ただ給食が支給されるのは最晩年のことなので、
岡崎さんは端島での給食を体験されずに、
島をでられたのかもしれませんね。

Re: はじめまして yasutaka - 2007/12/11(Tue) 23:34 No.3661

管理人さまへ

沢山の情報を有難う御座います。
実は、嘗て心ない者達からの誹謗・中傷・偏見を受けたため、現在は情報収集を続けて活動していながらも、表向きには活動を断念しているように装っているのです。
嘗て受けた誹謗・中傷の中には、「ド素人が執筆した小説など、気色悪くて読めたもんじゃない」というものもありました。
私がプロの作家で無いというだけで書く物全てが世間から拒絶されるのであれば、公に情報提供を公募しても誹謗・中傷などの批判しか受けないからです。
でも、こちらのサイトに来て、管理人さんのような、直接お互いの目的に関係が薄くても親身になって写真を貼付してくれたり、「○○は現存します」といった感じで対応をして頂ける方と出逢い、また表向きに活動を再開しようかなという気になってきました。
いまは、岡崎さんと一切の縁・繋がりがない漫画家さんや声優さんとの出逢い・交流(ネット上で)を中心に行動しています。
ある漫画家さんが自身の知名度を上げるキッカケとなった、現時点での代表作とされる漫画の小説バージョンを書かせていただけることにもなり、いままたやる気が出てきたところです。
いつか私自身の知名度が世間一般に浸透した際に、いつでも書けるように、これからも情報収集を続けます。

本当に、いろいろと有難う御座います。
これからも宜しくお願い致します。

Re: はじめまして 管理人 - 2007/12/12(Wed) 01:51 No.3662

▼yasutakaさんへ

そうですか、そんな経緯があったのですか。
詳しい事情はまったくわかりませんが、
「ド素人が執筆した小説など、気色悪くて読めたもんじゃない」
というのはおかしい気もします。
プロでない人には、プロでない沢山の強みがあると思います。

また、人が新しい行動を起こせば、反対意見の人がいるのも当然だと思います。
拙サイトの内容を快く思われない方も沢山いらっしゃると思います。
が、それを押してここまでサイトをアップしたのは、
ひとえに端島の素晴らしさにつきます。
拙サイトを通して、素晴らしい端島を少しでも多くの人に知ってもらえたらと思っています。
岡崎さんの小説が世に出れば、
それだけ別の視点で端島を知る人が増えると思います。
拙い情報ですが、せめて掲示板上だけででも、
お役に立てればと思ったまでです。

執筆、頑張って下さい。



端島遊園地 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2007/12/09(Sun) 18:12 No.3654

お世話になっております。
ごぶさたしております。
今日は端島65号に囲まれている端島遊園地の写真を貼りました。
出どころはs44年発行「高島町のあらまし」より抜すいさせてもらいました。
元々の写真の色がこんな感じですので一寸見ずらいかと思いますが・・・。
写真を見ると出来てまだ間もないような感じがします。
端島の子供達にとっては唯一広い遊園地でしたでしょうね。
              おそまつでした・・・・。

Re: 端島遊園地 管理人 - 2007/12/11(Tue) 02:03 No.3655

▼用務員さんへ

今週もご投稿、ありがとうございます。
出来たての遊園地には、いろいろな遊戯具があったことがわかります。
ただ植物がひとつもないですね。
サイト内の『緑なき島』の項目でも書かせて頂きましたが、
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-09-09.htm
65号棟の中庭の真ん中に大きな木があったら、
きっと、どの部屋にも木漏れ日を落とす、
気持ちのいい空間が出来ていたんではないかとも思います。
もっともそれだけ大きな木が根を張れるだけの土壌を作れるかは、
おおいに問題があったかとも思いますが。

65号棟のお話を頂いたので、
最近アップしてきた65号棟中庭のブランコの名残をもう一つ。
最後は、ブランコの両側にあった三角形の支柱を、
天棒と接続していた部品の名残です。
二股に分かれてた形が、ブランコだったことを想像させてくれます。
 

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