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端島病院4階看護婦宿舎侵入防止鉄針柵(?) 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2006/03/26(Sun) 16:25 No.157

お世話になっております。
端島病院本館4階の看護婦宿舎正面側に屋上からのコンクリート庇を伝わって侵入者が入らないために付けられた鉄針柵です。
今でも錆びてはいますが十分トガってます!
看護婦宿舎といえば女性のみ(当時は!)
よからぬ男どもが(私も含まれます!)進入しないための防護柵でしょうか・・?   おそまつでした。

Re: 端島病院4階看護婦宿舎侵入防止鉄針柵(?) 管理人 - 2006/03/27(Mon) 01:15 No.158

▼支所用務員さんへ

またまた貴重なお写真をありがとうございます!
今まで投稿して頂いたものも含めてどれも貴重なものばかりなので、
そろそろ用務員さん用の特別コーナーを増設する必要があるんではないかと思い始めました。

それにしても島内みな家族的な端島にしては、らしからぬ設備ですね。
位置から考えると外部からの侵入者用というよりは、
同じ階に宿泊する男性医師のための措置の割合がかなり大きいのではないかと思いますが、
いかがでしょうか。

看護婦宿舎といえば泉福寺の1階にもあったと言われていますが、
病院4階と寺の1階の宿舎では、同じ看護婦さんでもなにか違いがあったのでしょうか。
寺の1階は以前独身女子寮だったらしいので、
例えば看護婦さんの中でも独身の看護婦さん限定だったとか。

用務員さんがなぜ「端島支所下っ端用務員」のハンドルネームをお使いになっているかを、
『想像と記憶』の掲示板で拝見いたしましたが、
用務員さんにとって意味のあるハンドルネームなのだと知りましたので、
これからは支所長さんではなく、用務員さんと呼ばせていただきますね。(^.^)
 



端島病院厨房(調理室)の冷蔵庫 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2006/03/21(Tue) 15:56 No.152

お世話になっております。
病院本館1階にある厨房(調理室)の冷蔵庫(と思う)です。
造りから見て当初は氷を入れて冷やしたような冷蔵庫でした。(よく見ましたけどどうも電気冷蔵庫のようではありませんでした)
病院が再建されたs33年当時はまだ氷で冷やす冷蔵庫が一般的だったのでしょうか。またあったとしてもこんな大型の電気冷蔵庫は生産されてなかったのでは・・。
けどs40年代に入ってからはいくらなんでも病院にも電気冷蔵庫は使っていたものと思います。
ましてや端島の方々は電化製品にはとても敏感でしたからね!
H9年に撮った写真です。 ・・・おそまつでした。

Re: 端島病院厨房(調理室)の冷蔵庫 管理人 - 2006/03/22(Wed) 04:03 No.153

▼端島支所長さんへ

今日は氷冷蔵庫ですね!
今改めて見ると、一般的な氷冷蔵庫と少し形が違うのに気が付きました。
よく知られる氷冷蔵庫は、氷室と冷蔵室の扉が分かれていますが、
これは一体化しているようにみえます。
もっとも室内の中にある板の上に氷を載せるといった使い方だったらですが。

昭和34年製の電気冷蔵庫が鉱員社宅に残っていることを考えると、
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-07-06.htmの冷蔵庫の項
やはり昭和30年代には急速に電気冷蔵庫が普及したんではないかと思います。
また、氷冷蔵庫はの氷はもって一昼夜と聞くので、
毎日大量の氷を補給しなければならなかったと思います。
おそらく設置されてまもなく、
ただのモノ入れになってしまったんではないでしょうか。

いつも貴重なお写真をアップして頂き、
ありがとうございます。
これからも楽しみにしております。
 



真実の話 投稿者:モリぶりん  投稿日:2006/03/19(Sun) 02:15 No.142

本日、88才になる祖母に軍艦島の話を聞いてきました。
祖母は島の社宅が出来て2年目に生まれて17歳でお嫁に行くまでの島の成長期と最盛期に住んでたそうです。
祖母の父は島のお医者さんだったので、生活と言うか身分?はかなり良く家にトイレがあったり、島の人が色々なモノを持って来てくれたりしたそうです。
今で言う女郎の話などは何処のサイトでも見た事がないですが島に2件あり身請けされる事もあったとか、朝鮮人の話とか、島に疫病が蔓延した話とか興味深い話が満載でした。
今度PCを持って行ってこのサイトを見せてあげるつもりです。
後期の何かゴミゴミした感じじゃ無く、初期の出来たばかりの頃の勢いに満ちた頃の話を知ってるこう云った老人の方々の話を本とかにして貰えないモンですかね〜もう後数年したら聞けなくなるんですけどね…

Re: 真実の話 管理人 - 2006/03/19(Sun) 08:33 No.143

▼モリぶりん さんへ

端島にいらっしゃた方の、生の声を聞かせて頂き大変ありがとうございます。
大正7年から昭和10年頃と言えば、櫓も3本立っていたまさに上り坂のころの事ですね。
遊郭は、写真では見たことがありますが、霧の中のような話です。
その他、強制労働、疫病、今からは想像しがたい生活の話など、
拙サイトを立ち上げたことで、逆に知りたいことが無限に近く広がってしまったのも事実です。

本のお話は別にしても、もし機会がございましたら、
大正〜昭和初期のお話を伺わせて頂ければと思っております。

画像は今も島内に残る国内初の鉄筋高層アパートです。
 

Re: 真実の話 モリぶりん - 2006/03/19(Sun) 15:52 No.144

迅速なお返事ありがとうございました。
遂、夜中に書き込んだもので感情深くなり本がどうのと書き込んでしまいましたがお忘れ下さい (・∀・) スンマソン
さて、祖母は先日、写真館の様な所に友人と行ったそうですが、来ていたのは若い人ばかり(それでも50代とかですけどw)だったとかで寂しがっていました
母が言うには、年取ったせいか最近は軍艦島の話ばかりする様になったそうです。戦争で無茶苦茶になってしまった祖母には軍艦島に住んでいた時が一番幸せだったみたいです。
機会があれば是非お話を聞きに来てやって下さい。凄く喜ぶと思います。
それでは乱筆、乱文ですが失礼致します。

Re: 真実の話 管理人 - 2006/03/19(Sun) 20:37 No.146

▼モリぶりん さんへ

端島については、DVD、サイト、と作ってきましたので、
モリぶりんさんのお話を伺う以前から、
本という形も考えてはおりますが、
なかなかままならない状態です。

おばあさまは端島での輝いた思い出をお持ちのようですね!

私どもでは「そうでしたね」と一緒に言えることはなにもありませんが、
近いうちにお言葉に甘えさせて頂ければと思っています。
これからも宜しくお願いいたします。
 

Re: 真実の話 想像と記憶(端島・軍艦島)の管理人 - 2006/03/19(Sun) 22:24 No.149 <HOME>

モリぶりん さんへ

「もう後数年したら聞けなくなるんですけどね。」の言葉、痛感しております。
祖母様のような方のために、昭和初期までの映像をまとめてみました。(home参照)

よろしかったら、軍艦島オデッセイの紹介と併せ、手前HPを祖母様にお見せ頂いたら幸いです。

軍艦島オデッセイの管理人様、手前HPのPRで申し訳ありません。不都合な際は、即、削除頂いてかまいません。

Re: 真実の話 管理人 - 2006/03/20(Mon) 16:08 No.151

▼ご覧になる皆さんへ

『想像と記憶−端島・軍艦島−』の管理人さんが、
自ら集められた過去の写真の中から、
特に全盛期の写真をチョイスして、
特別に編集されたページをアップされました。
(一つ上の投稿)

今とはかなり違う、
躍動的な端島の光景が沢山ありますので。
是非ご覧下さい。
 



日給社宅18号厚生食堂奥の小料理屋座敷 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2006/03/19(Sun) 21:36 No.148

続けてのカキコみ、失礼致します。
日給社宅18号半地下に厚生食堂がありましたがその奥に小料理屋があったようで狭いながらもしゃれた座敷がありました。和風の丸窓をあしらったなかなか粋な造りですね。写真はH9年に35ミリハーフサイズカメラで撮った写真なもので上下同じ写真です。今はもうだいぶこの状態以上に荒れているのではないでしょうか・・・。 おそまつでした。

Re: 日給社宅18号厚生食堂奥の小料理屋座敷 管理人 - 2006/03/20(Mon) 16:00 No.150

▼端島支所長さんへ

これもまた珍しいお写真ですね!
いつもありがとうございます。

この場所は
柿田清英著『崩れゆく記憶−端島炭鉱閉山18年目の記録』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/475120503X/qid=1142837669/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-3037475-1138626

にもでている場所ですね。

島内では恐らく最も風雪から守られている場所なので、
残っていてくれるといいと思います。
 



端島鉱長社宅 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2006/03/19(Sun) 16:24 No.145

お世話になっております。
H7年に写したまだかろうじて形を把握する事が出来そうな鉱長社宅(5号棟)の写真がありましたので貼らせていただきました。
13号教員アパートの屋上から撮ったものです。
実測調査資料集の鉱長社宅平面図を見ると2階にも便所が備えられているようですね。・・・おそまつでした。

Re: 端島鉱長社宅 管理人 - 2006/03/19(Sun) 21:02 No.147

▼端島支所長さんへ

またまた貴重な写真を、ありがとうございます!
この状態の鉱長社宅は始めて見ます。
ツタが相当繁殖しているのをみると、
この状態だった期間がかなりあったのかと思いました。

今ではコンクリート建築がクローズアップされる端島ですが、
木造とコンクリートが混ざりあった光景も、
端島の大きな魅力だったんじゃないかと思います。
できれば5、6、7、12号棟がしっかりしている時の様子を、
みてみたかったものです。
 



昔の写真 投稿者:ミヤ  投稿日:2006/03/17(Fri) 19:40 No.138

軍艦島すごいですね!!なんと言うか圧迫感がありました!
ただどうして昔の写真がないのですか?
当時の人が撮った写真とか掲載しないのですか?

Re: 昔の写真 管理人 - 2006/03/18(Sat) 14:23 No.140

▼ミヤさんへ

ご覧になって頂き、ありがとうございます。
やはり狭い土地に沢山の人が住もうとした工夫の跡が、
結果、圧迫感にも繋がってしまったのでしょうか。

拙サイトは、
廃墟からどれくらいのことがみえてくるのかをテーマにしたサイトですので、
廃墟の姿から、様々なことを想像していただければと思い、
あえて必要以上の操業時の写真をアップしておりません。

操業時の写真は、
拙サイトからリンクさせて頂いている。
『想像と記憶 端島・軍艦島』
http://www1.cncm.ne.jp/~m8512215/hasima/
をご覧になってはいかがでしょうか。
管理人さんの、渾身の収集による操業時の端島の写真が、
沢山アップされています。
 
画像は鉱業所に残る、会社事務所跡です。
 



65号屋上エレベーター機械室 投稿者:端島支所下っぱ用務員  投稿日:2006/03/12(Sun) 15:57 No.123

お世話になっております。添付画像はH7年に撮ったものです。65号屋上エレベーター機械室ですが私個人このエレベーター機械室を見てこう感じるところがありました。s20年完成の時、結局エレベーターは取り付けられませんでした。s22年に7階建てから9階建てにかさ上げ(増築)工事した時もやはりエレベーター機械室は造られました。この時も、もしかして近い将来エレベーターが取り付けられるかもしれないという気持ち、期待があってそのまま7階建ての時の屋上と同じようにエレベーター機械室が造られたものと思います。本当に必要の無い(エレベーターはもう取り付けないと決まっていたら)ものでしたらまたあらたにわざわざ造らなかったのではないでしょうか?結局エレベーターは閉山まで取り付けられる事もなく物置として使われていたようです。エレベーター機械を据え付けるためコンクリート床の真ん中あたりが穴が開いていたんですが木製梁が付けられ床板が張られていました。・・・おそまつでした。

Re: 65号屋上エレベーター機械室 管理人 - 2006/03/13(Mon) 04:30 No.124

▼端島支所長さんへ

夢と終わったエレベーターのお話、ありがとうございます!
なにかと<国内初の試み>が多い端島ですが、
実際に設置されていたら、
日本初のアパートでのエレベーター設置
というもう一つの日本初が加わったはずですね。
増築しても屋上に機械室を作っているので、
<初の設置計画>とはいえると思いますが。
確かに、設置されなかった理由は知りたいと思います。
『実測調査資料集』には「資材不足が原因だったらしい」
と書いてあるので、正確な情報ではないんじゃないかと思います。

エレベーターのお話がでたのでちょっと思い出しましたが、
添付画像はそのエレベーターシャフトのあったと思われる位置の、
65号棟病院側入口の1階部分に残る部屋です。
エレベーターが設置されていたら、
恐らくここが1階乗り場になっていたんではないかと思いますが、
この部屋はなにに使われていた部屋かご存じでしょうか?
居住用の間取りではないですが、
下半分に他とは違うタイルの装飾がされているので、
それなりに意味のある部屋だったんではないかと思いました。

エレベーターのことに関しては、
小中学校のものも含めて、
拙サイトの第2期更新の時にもうちょっと詳しくアップしようかと思っていましたが、
せっかくお話を頂いたので、
近々blogの方でもアップさせて頂きます。

http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/
 

 

■訂正■ 管理人 - 2006/03/17(Fri) 07:33 No.137

上記コメントで、
65号棟のエレベーター設置計画が、
日本のアパートで最初のものだと書きましたが、
住宅建築に詳しい
tksさん▼
http://blog.all-a.net/
からご指摘を頂き、調べなおしたところ、
間違っていたことがわかりましたので訂正致します。

このことに関する『軍艦島実測調査資料集』のくだりを抜粋しておきます。

「 一方昭和32年、晴海公団アパート(RC10階建て、前川国
 男設計)の出現までエレベーターをもつ高層アパートは、
 戦後の事例に関する限り日本にはなかったが、65号棟(
 昭和20年、RC地下1階、地上9階+屋上幼稚園)にはエレベ
 ーターシャフトと機械室、階段室のペントハウスが屋上に
 突出している。(中略)設計としてはこれも戦前の日本の
 アパート用エレベーターとして希有のものであると考えら
 れる。」(『軍艦島実測調査資料集』p633より)

つまり「日本初」ではなく「極めて珍しい」でした。

併せてサイト内の記述も訂正致しました。
http://www.gunkanjima-odyssey.com/GS22-08-02.htm
の「学校」の項目。
 



懐かしくて 投稿者:明日  投稿日:2006/03/17(Fri) 00:04 No.134

軍艦島!久々に見せてもらいました。
私の故郷から真正面に見えています 子供の頃から見慣れた景色の一部で、まだ若かった母が朝早くから船に乗って野菜等の行商に行ってた島です 懐かしく思い出しました。めったに帰らない故郷から見る端島は遠目では変わり無い姿で映っています いつまでも、その姿を留めてほしいと思います 

Re: 懐かしくて 管理人 - 2006/03/17(Fri) 07:24 No.136

▼明日さんへ

ご覧になっていただきありがとうございます!

野菜の行商船の話は、拙サイトをつくる際に色々調べた時に知りました。
活気あった露天の話も、また端島の建物が高浜の海岸の砂で作られていたこことも。

本当に、いつまでも残ってくれるといいなと思います。

「真正面に」とあったので、高浜かなと思い、
高浜の海の家<えびす>からの端島を添付いたしました。
 



どうしても行きたくて 投稿者:みっぴー  投稿日:2006/03/13(Mon) 23:03 No.126

 一年ぐらい前に軍艦島にどうしても行きたくて、長崎観光そっちのけで、遊覧船に乗って見に行きました。
 なんか、おお〜ってかんじでした。
 また、いろいろ軍艦島のことを教えてください。

Re: どうしても行きたくて 管理人 - 2006/03/14(Tue) 09:21 No.128

▼みっぴーさんへ

ご覧になっていただき、ありがとうございます!

そうですか、長崎観光をそっちのけで、
軍艦島クルーズへいかれたのですね!

拙サイトは廃墟軍艦島の事だけですが、
リンクさせて頂いているところをご覧になると、
操業時のことやこれからの事など、
いろいろな事がでていますので、
ご覧になってはいかがでしょうか。

また遊びに来てくださいね。
お待ちしています。

画像は鉱業所にあった遺品です。
 

Re: どうしても行きたくて michiko - 2006/03/14(Tue) 22:53 No.130

私も九州ツーリングをしたときに長崎にも寄りましたが、その時は原爆の記念館が印象に残りました。

8年前のその時軍艦島のことを知っていたら、せめて海岸からでも見に行ったでしょうに。。

お金を貯めたらまたいつか九州に行きたいです。

Re: どうしても行きたくて 管理人 - 2006/03/17(Fri) 07:17 No.135

▼michikoさんへ

対岸からの夕日は、格別ですよ!
拙サイトでも何枚かアップしていますが、
島に重なって日が沈むのは6月頃です。
これからの季節なので、是非お薦めです!
 



はじめまして 投稿者:さと  投稿日:2006/03/13(Mon) 09:25 No.125

友達のブログで紹介されていたので、よらせてもらいました。
軍艦島。名前だけ聞くと戦争がらみの怖いイメージがありましたが、戦争とはまったく関係ないのですね。
軍艦島は、当時の人たちが思い描いていた「憧れの未来都市」をそのまま形にしたものだと思います。
まるで、私たちが想像する22世紀の都市のように・・・。
この島は時がとまったタイムカプセル。一度行ってみたいです。
この島に住んでいた方のお話は聞けないのでしょうか?

Re: はじめまして 管理人 - 2006/03/14(Tue) 09:14 No.127

▼さとさんへ

ご覧になっていただき、ありがとうございます!

そうですね、軍艦という名前だけだと、
戦争の施設かとも思いますね。
ただ戦時下では、石炭は重要な産業だったので、
表向きは軍事施設ではありませんが、
それほど遠からずという時代もあったと思います。

今から見ると超近未来都市だったと思いますが、
どうやらそれは「今からみると」ということみたいです。
最初から近未来都市を造ろうとして始まったものではなく、
必要に迫られた創意工夫の結果が、
最終的には他にない近未来的な都市を造り上げたようです。

操業時に住んでおられた方々のお話ですが、
「軍艦島を世界遺産にする会」発行の
『軍艦島の遺産 風化する日本近代化の象徴』

http://www.gunkanjima-wh.com/sinsyo.htm

は既にご覧になったでしょうか。
もと島民である坂本氏の思い出話が沢山かかれています。
 
画像は鉱業所の事務所跡です。
 

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