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おかげさまで 投稿者:中野 哲夫  投稿日:2009/04/23(Thu) 01:52 No.4202

久しぶりです。前日にフジテレビから連絡があり、カメラまで入って翌日放映とどっか〜んと、端島が復活した感じがしました。 同級生からもメールがあり、ジワリと消息がつかめるきっかけもできました、ほんとうにありがとうございます ( ^)o(^ ) 5月16日に同窓会を長崎でやるという連絡もあったり(仕事で行けません)。でも今のところ30人ほど所在がわかりそうです。それだけでも充分満足なんですがやはり… 会いたい もうすぐ51歳 最後のチャンスじゃないかと。やはり端島で共に生活した仲間は生涯の友なんです。 廃墟でも怖さを感じないはずです、リポーターの人と違うのはやはり、元島民かそうでないかではないでしょうか。 島全体が親、兄弟のようなものだから。

Re: おかげさまで 管理人 - 2009/04/23(Thu) 11:39 No.4204

▼中野さんへ

おひさしぶりでございます。
『トクだね!』拝見いたしました。
普通に端島へ上陸できるようになりおめでとうございます。
また同級生の方からのご連絡もおめでとうございます。
ささやかに中野さんのことをサイトでもお知らせしていましたが、
お役立ちできずに申し訳ありませんでした。
またお店の方へも寄らせて頂きます。

画像は潮降街です。
はやくこの辺まで見学出来る様になればいいと思います。



一般公開始まる。 投稿者:管理人  投稿日:2009/04/23(Thu) 01:31 No.4201

メディアで今日一日放送しまくられたように、
端島の一般公開が始まりました。

ドルフィン桟橋のあり得ない改造をはじめ、
公開することしか考えにない強行だとも思えた一般公開でしたが、
元島民の方々が上陸されている映像を見て、
一般公開はよかったと思いました。

一応上陸は禁止されていた場所なので、
行きたくても行けなかった元島民の方は多かった筈です。
たとえ一企業の私有地の中の住処だったとしても、
住めば都、と言う様に、まぎれもなく故郷だと思います。
どんな形であるにせよ故郷が残っていて、
そしてそこに普通に行ける様になっただけでも、
今回の一般公開はとても意義のあることだったんではないかと思いました。



一般公開 投稿者:yasutaka  投稿日:2009/04/22(Wed) 23:19 No.4199

お久し振りです。
yasutaka です。
本日、遂に軍艦島の一般公開が実現しましたね。
島に降り立った人たちは嘗ての島民や関係者だったようですが
私も時間と旅費を確保して訪れたいと思います。
まだまだ見学できる箇所は制限されているようですが
ある程度の自由見学ができるようになれば
岡崎律子さんが住んでいらっしゃったという3号棟に行って建物の内部を見学し
岡崎さんが当時、どのように生活していたのかを確認したいと思います。

Re: 一般公開 管理人 - 2009/04/23(Thu) 01:24 No.4200

▼yasutakaさんへ

お久しぶりです。そのご調査の方は順調に進んでいますか。
一般公開も始まったようですね。
以前ににも申しましたが、ある程度自由見学が出来たとしても、
恐らく最後まで行けない場所の一つが3号棟ではないかと思います。
ともあれ島へ行かれるだけでも岡崎さんの住んでいた島の空気や音は、
ある程度解ると思いますので、
是非行かれてはいかがでしょうか。

画像は3号棟の南側岩礁部分にある岩の塊です。
3号棟を建設するために削り出したととは思いますが、
妙に人工的なのが印象深い場所です。
恐らく岡崎さんもご覧になっていたんではないでしょうか。



釧路の炭鉱を紹介します。 投稿者:やかた  投稿日:2008/08/04(Mon) 18:53 No.3915

今日は釧路の炭鉱を紹介しようと思います。
釧路には現在も稼働中の炭鉱があります。2002年1月30日に太平洋炭鉱が閉山し、釧路コールマインが継承したので現在も炭鉱は稼働しています。
写真は釧路コールマインのマークです。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/04(Mon) 19:00 No.3917

1970年11月、石炭の生産部門を分離独立させるために、太平洋炭礦株式会社(初代、東証一部上場)によって設立されました。同時に初代太平洋炭礦は不動産部門である太平洋興発(初代)を吸収合併し、太平洋興発株式会社(2代目)に社名変更しました。当時既に全国的に閉山が相次ぎ、会社存続のために取られた方策です。この結果、炭鉱閉山後も太平洋興発株式会社(2代目)は不動産事業などを中心に展開しています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/04(Mon) 19:02 No.3918

1920年4月22日 - 木村組釧路炭鉱と三井鉱山釧路鉱業所を継承し、太平洋炭礦株式会社(初代)設立。
1970年11月 - 太平洋炭礦(初代)の石炭生産部門が独立し太平洋炭礦株式会社設立。太平洋炭礦(初代)は太平洋興発株式会社に社名変更。
2002年1月30日 - 太平洋炭鉱が閉山、釧路コールマインが継承。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/04(Mon) 19:07 No.3919

1897年に前身の安田炭礦が採掘を始め、1920年に太平洋炭鉱となりました。閉山までの82年間で、採炭量は1億トン以上となりました。採炭の多くを海底の炭層から行っていたため、「太平洋の海底炭」というネーミングで宣伝し販売をしていました。主に道東方面での消費が多かったが道南などにも販売していました。道内の多くの炭鉱で落盤やガス爆発、坑内火災などの悲惨な事故が発生していましたが、太平洋炭鉱は1954年8月のガス爆発事故以外に閉山まで大事故を起こすことが無かった炭鉱としても知られています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/04(Mon) 19:09 No.3920

太平洋炭礦は過去に、従業員の福利厚生と地域振興を目的に、遊園地・ボウリング・プールといった多岐にわたるレジャー施設の太平洋スカイランドを経営していました。1993年にヒルトップに名称変更、2002年に閉園しました。


Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/04(Mon) 19:13 No.3921

今日は炭鉱(釧路)の写真を撮ってきたので後日紹介します。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 管理人 - 2008/08/05(Tue) 11:25 No.3922

▼やかたさんへ

釧路炭鉱の詳しいお話をありがとうございますm(_ _)m
釧路の写真をアップして頂けるそうですね。
楽しみにしております。
またwikipediaの話ではなく、
やかたさんが直接お感じになった釧路のお話も、
聞かせて頂ければと思います。

添付頂いた画像が大きすぎましたので、
見やすいサイズに変更させていただきました。
 

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/05(Tue) 20:23 No.3925

釧路は今も住んでいる所で炭鉱はすぐ近くにあるので、昨日は自転車でカメラを持って行きました。
昨日は時間があまり無かったので・・・。この炭鉱には2002年まで父が働いていました。(2002年まで炭鉱マンでした。)しかし、閉山により約1500人が解雇され、父もその一人になってしまいました。これにより、単身赴任になってしまい、なかなか会えなくなってしまっているので炭鉱の閉山にはとても悲しいです。
No.3920にも書きましたが、炭鉱の閉山によりヒルトップが閉園した事も残念です。
写真を見やすいサイズに変更していただきありがとうございました。よりキレイに写真を撮ろうと思っていたので昨日は30枚撮ったら一度家に帰ってまたカメラを持って出かけていました。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/05(Tue) 20:36 No.3926

写真を投函しようと思ったのですが、写真を入れて投函ボタンを押すと、cgi-lib.pl: Request to receive too much data: 2053596 bytesと表示されて写真を投函できません。サイズが大きすぎるからでしょうか・・・。
また、写真ごとに番号の部分だけが変わります。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 管理人 - 2008/08/06(Wed) 13:04 No.3927

▼やかたさんへ

釧路のお話をありがとうございますm(_ _)m
お父様が炭鉱マンだったのですね!
閉山による解雇はとてもつらい思い出となられた事でしょうが、
2002年という時代に閉山による解雇というご体験は、
とても貴重なものでもあると思います。

1画像の容量制限を1M (=1000K=1000000bytes)にしてありますので、
2053596 bytesだとちょっと大きすぎますね。
1M以下のサイズでご投稿頂ければと思います。
また「写真ごとに番号の部分が変わる」
がどういう事かちょっとわかりませんので、
教えて頂ければと思います。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 14:11 No.3930

そうですよね。今から6年前の事ですから。

今年のゴールデンウィークに、祖父が昔住んでいた雄別にも行って来ました。釧路と同じく炭鉱の町です。その時のの写真も機会があれば投函したいと思っています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 14:31 No.3932

写真はサイズを変更する事ができましたので、投函していきたいと思います。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 15:36 No.3933

写真を投函します。
>炭鉱関連写真。炭鉱入口です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 15:38 No.3934

>炭鉱関連写真。炭鉱入口を拡大した写真です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 15:41 No.3936

>炭鉱関連写真。炭鉱内のわき道より撮影。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 15:43 No.3937

>炭鉱関連写真。炭鉱の配管が奥まで続いています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 15:46 No.3938

>炭鉱関連写真。配管の一部。この機械からは蒸気が出ていました。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:39 No.3940

>炭鉱関連写真。入口付近より撮影。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:42 No.3941

>炭鉱関連写真。フェンスの向こうは炭鉱です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:43 No.3942

>炭鉱関連写真。フェンスの向こうは炭鉱です。建物が並んでいて手前には緑色の機械があります。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:45 No.3943

>炭鉱関連写真。フェンスの向こうは炭鉱です。不思議な形をした機械が中央付近にあります。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:50 No.3944

>炭鉱関連写真。わき道を進んで道路に出ました。道路に面した方では、昔に使われていた線路とトロッコが見えます。線路の写真です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:51 No.3945

>炭鉱関連写真。トロッコの写真です。ここらへんから撮影する人をよく見かけます。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:52 No.3946

>炭鉱関連写真。建物が見えます。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 19:56 No.3948

>炭鉱関連写真。正面に見える山は「ずり山」です。採炭時や選炭のときに出た不要な岩や石炭のかけら「ずり」の廃棄場所です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 20:56 No.3950

>炭鉱関連写真。黒いのは石炭です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 20:58 No.3951

>炭鉱関連写真。建物が見えます。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 20:59 No.3952

>炭鉱関連写真。通路がずっと続いています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:00 No.3953

>炭鉱関連写真。通路が続いています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:01 No.3954

>炭鉱関連写真。とても長く続いているのがわかります。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:03 No.3955

>炭鉱関連写真。通路の真下に来てみました。ベルトコンベアーのような機械が動いているような音が続いていました。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:05 No.3956

>炭鉱関連写真。選炭工場。建物が見えます。この炭鉱はとても大きいです。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:09 No.3957

>炭鉱関連写真。通路がいりくんでいます。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:10 No.3958

>炭鉱関連写真。通路はここで終わりです。通路の下に見えるのは石炭です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:11 No.3959

>炭鉱関連写真。石炭がとても綺麗です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:15 No.3960

>炭鉱関連写真。石炭を運ぶための汽車です。かなり長いです。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:17 No.3961

>炭鉱関連写真。通路の終わりの部分です。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:19 No.3962

炭鉱関連の写真はまだありますが、良いと思った写真を選び、投函しました。

ヒルトップを通ったのでヒルトップの写真も何枚か投函します。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:22 No.3963

ヒルトップの写真。炭鉱の閉山により閉店した建物。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:24 No.3964

ヒルトップの写真。閉山により閉店した建物。ここでは結婚式も行われていました。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:30 No.3965

ヒルトップの写真。炭鉱資料館の看板。看板の隣り見えるのは体育館です。まだ利用できます。写真には写っていませんが体育館の隣には小さいですが、葬儀場もあります。利用されています。体育館の隣には大きな風呂がありましたが取り壊してしまいました。炭鉱マンや一般客が利用していました。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:34 No.3966

ヒルトップの写真。炭鉱資料館。利用できます。何回か入った事があります。ヘルメットをかぶって地下へ行き、たくさんの坑内大型機械を見ることができます。機械はたしか動かせる事ができたと思います。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:34 No.3967

ヒルトップの写真。炭鉱資料館。外にも大きな機械があります。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/06(Wed) 21:40 No.3968

最後に、ヒルトップから見た景色です。

雄別の写真も今度、投函したいと思っています。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 管理人 - 2008/08/06(Wed) 23:24 No.3969

▼やかたさんへ

釧路コールマインの写真を沢山アップして頂き、
ありがとうございます。

No.3937は蒸気の配管でしょうか。
炭鉱では高温の蒸気を冷水と混合して、お風呂のお湯などとして使います。
No.3938はその配管の一部だと思われますが、蒸気が出ていたということなので、
そのための配管かと思います。

No.3945
使われなくなった炭車が沢山積み上げられていますね。

No.3950
周囲の状況がよくわかりませんが、これはズリではないでしょうか?
精炭かもしれませんね。

No.3952〜No.3955は通路ではなく、
No.3955に書かれている様に長〜いコンベアベルトが中に入っていると思います。
海底から掘り出された原料炭を選炭場まで運ぶ為のコンベア、
あるいはズリをズリ山のある場所まで運ぶコンベアだと思います。

No.3959
ここが精製された石炭の貯炭場でしょうか。

No.3960
ここから釧路港の貯炭場へ製品炭が運ばれるのですね。

No.3963〜No.3964
太平洋炭鉱時代の施設は使われなくなったものもあるようですが、
他の北海道の炭鉱に残る使われなくなった施設と比べると、
とても奇麗な印象です。

No.3967
これがコンティニアスマイナーでしょうか。
坑道を掘削しながら同時に石炭を採炭し、
さらに後ろに連結されたコンベアへ自動的に積み込んで行く機械ではないかと思います。

炭鉱資料館では坑内大型機械を多数展示してある様子なので、
ぜひ次回はそれらもアップして頂けたら嬉しいです。

ありがとうございました。
 

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 やかた - 2008/08/07(Thu) 08:49 No.3972

炭鉱について良くご存じなのですね。驚きました。写真についてコメントしていただきありがとうございます。

次回は機会があれば、炭鉱資料館へ伺いアップできたらと思います。

Re: 釧路の炭鉱を紹介します。 管理人 - 2008/08/08(Fri) 11:52 No.3977

▼やかたさんへ

一般的な炭鉱の話をしただけですので、
釧路にはあてはまらない話もあるかもしれません。
あとはお近くにお住まいのやかたさんが、
詳しくお調べになればよろしいかと思います。

またお父様が太平洋炭鉱でお仕事をなさっていたそうなので、
お父様から伺うのが一番よろしいかと思います。
ところでお父様は炭鉱のどの部門でお仕事をなさっていたのでしょうか。
差し支えなければ、教えて頂ければと思います。

資料館のお話も、おまちしております。
 



紀伊国屋 長崎夢彩都店 軍艦島コーナー展開中 投稿者:管理人  投稿日:2009/04/19(Sun) 10:18 No.4197

長崎の港、大波止に隣接するショッピングセンター「夢彩都」に出店している紀伊国屋長崎店で、
軍艦島がコーナー展開されています。

『軍艦島全景』は特別パッケージの第一版の在庫がまだあるようです(4/18現在)
第一版を購入ご希望でまだお買い求めでない方は、行かれてはいかがでしょうか。



スーパーモーニングで軍艦島特集 オンエア 投稿者:管理人  投稿日:2009/04/16(Thu) 18:53 No.4190

明日 [4/17 (木)] のテレビ朝日系、
午前8:00〜10:00の『スーパー・モーニング』で、
軍艦島特集があります。
お時間のある方はご覧下さい。



ジュンク堂 新宿店 軍艦島コーナー展開中 投稿者:管理人  投稿日:2009/04/15(Wed) 03:13 No.4186

新宿三越百貨店に入っているジュンク堂書店さんの6階で、
軍艦島がコーナー展開されています。
特に去年発売された、軍艦島を世界遺産にする会発行の、
『軍艦島 住み方の記憶』は直接通販以外なかなか手に入りにくいので、
是非この機会にご購入をお勧めいたします。

またこのコーナーでは軍艦島に限らず、
筑豊や北海道などの炭鉱、足尾をはじめとした鉱山関連の書籍も、
コーナー担当の方の並々ならない造詣の深さが伺える品揃えです。
この辺にご興味のある方は、是非足を運ばれる事をおすすめします。
 
余談ですが、
おかげさまで『軍艦島全景 gunkanjima odyssey archives』は、
特殊パッケージなし&帯付の第二版が発売されました。
この掲示板をご覧になられた方で購入された方々へは、
この場を借りてお礼申し上げます。
 



30号棟の正方形は? 投稿者:どうぶつ  投稿日:2009/04/03(Fri) 22:18 No.4175

 いつもここのサイトを読ませてもらっています建築を勉強しています。

 30号棟の吹き抜けって一辺は何メートルくらいなのですか?かなり狭そうにみえますが、、。同じく櫛形の高層RCもみなさんの写真ではかなり重厚な巨大さですがものすごく細そうですね、、。

もうすぐ一般公開だそうですが、ちょっと複雑です。

Re: 30号棟の正方形は? 管理人 - 2009/04/04(Sat) 03:09 No.4178

▼どうぶつ さんへ

いつも軍艦島オデッセイをご覧になって頂き、ありがとうございます。

30号棟の吹き抜けの一辺は『軍艦島実測調査資料集』によると、
約5.5mです。
これが広いのか狭いのかはわかりませんが、
実際に周囲を囲む階段や廊下の長さと見比べると、
それほど狭い印象はなく、
とてもバランスのとれた大きさに感じます。

また櫛形の建物は日給社宅と呼ばれる建物ですが、
見る場所によって印象が全然違います。
海側から岩礁に向かって突き刺さる様に建つ、
いわば櫛の刃の部分にあたる建物は、
上層部の一番部屋数が多い階で、
幅(外廊下をいれて)約10m、長さが約30m強です。
しかしこの5棟は、いわば櫛の持ち手にあたる、
海側に建つ大廊下棟によって連結しているので、
大廊下棟はいわば5棟の幅+4中庭の幅一面が壁になります。
その結果、海側から日給社宅を見ると、
とてつもなく重厚で巨大な建物に見え、
逆に屋上側から見ると、とても細長い建物に見えます。

なべて言うと、
30号棟や日給社宅から65号棟あたりまでの、いわゆる初期のRC社宅は、
現在のRCアパートなどと比べて、
はるかにぼってりとした重厚感があり、
建物も大きな印象を受けますが、
の感覚だけはどうしても画像では表現出来ないのが残念です。

画像は海側から見た日給社宅です。
左側が16号棟の窓側壁面、右側が大廊下の壁面の一部で、
画像では全然入りきれてませんが、
大廊下の長さの方が16号棟の窓側壁面よりもはるかに長く、
海側からみると巨大な塊のようなビルに見えます。
 
一般公開ではこれら30号棟や日社宅までは行けないようですが、
それでも堤防の中に入った時に聴こえる、
普通の無人島とは全く違う海の音や、
島を流れる空気を感じるだけでも、
とても意味のある事だとも思います。
 

Re: 30号棟の正方形は? どうぶつ - 2009/04/04(Sat) 14:04 No.4179

 そうなんですか、実際はそこそこの広さが確保されているのですね。(重厚なかんじは写真からはよく伝わります。)
 細そうに感じる、とおもったのは案外小さかったらそんなに息苦しくないかもということで生活できてたのかな、とおもったのです。一人あたりふた部屋分を使ったとききましたがというういうことは程ほど住居にも空きスペースがあってそれなりに暮らせる感じだったのかな、と感じたわけでした。

 30号棟は内部に雨どいの管が設置されているのをみてその管の太さとの対比ですおもいましたが、これ自体がそうするとかなりごっついやつなんでしょうかね。現役の人が住んでいた30号棟(当時)などの写真などは見たことがありませんでした。

いろいろとご指南ありがとうございました。

 建築的には遺産ですが、強制労働された方々を考えるとすこし複雑ですね。炭鉱は遊園地跡などとはすこし違いますね

 

Re: 30号棟の正方形は? 管理人 - 2009/04/07(Tue) 04:12 No.4180

▼どうぶつさんへ

> 一人あたりふた部屋分を使った
のは、採掘区域が変わって島民が減少した晩年のことだと聞いています。
島内の居住可能な部屋は全建物合わせて約1,100部屋ありました。
ですので閉山の時には多少余裕をもって各人が使えたと思いますが、
全盛期の5,000人以上いた時は相当過密だったことが想像出来ますね。

30号棟の中庭に面して設置された排水管は、
ご指摘の通りかなり太いしろものです。
30号棟の屋上画像をご覧になったことがあればおわかりかと思いますが、
中庭に最上階は純粋に吹き抜けになっていて、
その吹き抜けになんの囲いもなくただ階段が設置されているため、
雨の時等は直接中庭に雨が降り注ぐ状態です。
ですので、これだけ太い配水管が必要だったんではないかと思います。

強制労働に関しては、
端島に限らず20世紀の日本が行って来た一つの歴史的な事実だと思います。
まだ明かされていな事実も沢山あるでしょうし、
またその事実をどう考えて、これからを生きて行くか、
ということではないかと思います。
勿論、遊園地とは全然違うものだと思いますが、
そういったことを含めて大きなテーマパークではあると思います。

Re: 30号棟の正方形は? どうぶつ - 2009/04/08(Wed) 16:29 No.4181

そうですか、過密に沿っての詰めた建物そのままだった時代もあるんですね。

 やはり歴史遺産としてはほんとですね。今月からですね、、。トイレなんかは設置されたんでしょうかね、きになるところです。廃墟のトイレってなにげに稼働していますよね、、。



横島 投稿者:blueswave  投稿日:2009/02/17(Tue) 10:32 No.4145 <HOME>

はじめまして。香焼の診療所の巡回バスを運転しているものです。先日、お年寄りの患者さんから耳を疑うような話を聞き、にわかに信じられず、ただいまネットで検索しまして、こちらのサイトにたどりついたしだいです。
その話と言うのは、昔、香焼の沖に横島という島があって、学校もあったけどいまは島が沈んでしまった人は住んでいない、という話でした。島が海に沈んでしまうには早くても何百年もかかりそうに思えて、私は「ええっ!?ほんとですかぁ?」と疑うような返事をしてしまいました。しかしその後、その話が耳に残って確かめてみたくなった、というわけです。こちらのサイトのおかげで島の経緯や写真まで見ることが出来、感動に近いものを感じております。この島なら毎日のように眺めています。このへんかな、と思ってきのう撮った写真をアップします。撮影場所は香焼町恵里上からで、安保のテツゲンアパート越しの沖合いにそれらしい島や岩礁群が見えています。

Re: 横島 管理人 - 2009/02/17(Tue) 11:27 No.4146

▼blueswaveさんへ

軍艦島オデッセイ -GIGA INDUSTRIAL RUINS-をご覧になっていただきありがとうございます。
横島の話を最初聞いたときは、私も耳を疑いましたが、
その後香焼町郷土史などを見ると、やはりわずか数年の内に水没してしまったようです。
最初に横島を見たときには、まだ岩礁の上に枯れ木が一本残っていましたが、
今ではもう木はなくなってしまったようですね。

海底には当時の学校のや住宅の跡が眠っている、とも聞いていました。
しかし横島の周囲の海底を調査された映像を見たことがありますが、
それらしきものは映っていませんでした。
調査されたご本人も、ほとんど何も残っていない様子だった。
とおっしゃていました。

拙サイトからリンクさせていただいている
『想像と記憶 端島(軍艦島)』に、
操業時の姿や詳しい資料が掲載されているので、
ご覧になってはいかがでしょうか。
http://www1.cncm.ne.jp/%7Em8512215/hasima/ykosyasin.html

香焼から眺める横島のお写真もありがとうございました。
最近はあまり足を伸ばしていないので、懐かしいです。
 

Re: 横島 blueswave - 2009/02/22(Sun) 11:36 No.4151 <HOME>

その後も気になりまして、車のなかで患者さんに話をふってみています。93歳のばあちゃんは「明治のころには2万人ぐらいおったとげな」と言っておられますが、これこそちょっと信じられません。比較的若い患者さんは「お父さんがよく釣りに行っていた」とか「私もひじきやら貝やらを採りに行っていた」などとおっしゃいました。けっこう身近に感じてはおられるようです。この写真は香焼の安保海岸から見たものです。

Re: 横島 管理人 - 2009/02/23(Mon) 12:35 No.4153

▼blueswaveさんへ

横島のお話をありがとうございます。

明治の頃は2万人ですか!
これは驚きですね!

『野母崎町郷土誌』に記載された横島の記述によれば、
明治30年代前半の最盛期に、130戸、人口は約700人とあります。
かなり前のことなので正確な記録かどうかはわかりませんが、
もしかしたらもっと沢山の人がいたのかもしれませんね。
ただ島の大きさは長尺330m×短尺62mと端島より小さい規模のものだったので、
2万人が住むのはちょっと無理があるかと思いました。

画像は『野母崎町郷土誌』からの引用です。
上の絵は明治19年の炭鉱開発が始まる前の横島の姿と言われる図ですが、
山型の島影がどこまで真実を伝えているかどうかは別として、
中ノ島やかつての端島のように、
そそり立った岩礁のような島であったように見えます。

下の画像は明治33年の横島の様子ですが、
周囲に堤防が築かれ、現在の端島の様な姿になっているのが解ります。
左端に写るのが南竪坑、
その右隣の小高い山頂のすぐ右に見える四角いのが北排気坑。
右側の埋め立て地に並ぶ建物が住宅や病院や小学校だそうです。

細長い煙突は製塩工場かボイラー施設の煙突かと思われますが、
その麓の右隣には均整のとれたピラミッド型の黒い山が見えるので、
これはボタ山ではないかと思ったりしました。

昭和初期までは丸い南竪坑と四角い北排気坑の跡が残っていたそうです。

Re: 横島 管理人 - 2009/04/04(Sat) 02:32 No.4177

リンクをさせて頂いている
『想像と記憶 端島(軍艦島)』
http://www1.cncm.ne.jp/~m8512215/hasima/
の管理人さんから、ご指摘をいただき気がつきました。

上記管理人がアップした画像は、
『野母崎町郷土誌』ではなく『香焼町郷土誌』です。
訂正いたします。
 



無題 投稿者:mieharu  投稿日:2009/03/24(Tue) 11:14 No.4171

来月から、上陸できるので、楽しみです。少しでも、故郷が、感じでれば、嬉しいです。

Re: 無題 管理人 - 2009/04/04(Sat) 02:26 No.4176

▼mieharuさんへ

お返事おそくなりました。
上陸が公開されたら、行かれるのでしょうか?
いままで一度もいかれていないのでしたら、
お気持ちもひとしおと存じます。
故郷を感じられる上陸になるといいですね。
 
画像は島内に残っていた土瓶です。

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