81
ちどり荘
築年不詳
木造モルタル2F
教職員宿舎。アパートで唯一番号のついていない建物。
▲82
クラブボックス
木造
▲83
運動器具小屋
木造
84
共同トイレ
RC
かつては綺麗なペイントが施されていたトイレ。NHKドラマ『深く潜れ』のロケ時に再塗装。
▲85
運動器具小屋
木造
86
霊安所
RC
▲87
温室
木造枠組+硝子
五十段の上付近。神社の下付近。25号棟の屋上(2棟)。貯水槽の屋上。
▲88
生協市場
木造平屋
おもに生鮮食品を扱っていた。閉山後に焼失。
89
祠
RC
山道と呼ばれた岩礁の鉱業所側の中腹に沿った道の途中にあった。現存
▲90
端島消費生活協同組合売店
木造2階
▲91
新聞・牛乳売店
RC
一部外勤詰所。RC造だが現在は完全に崩壊。
▲92
消防ポンプ庫
木造
93
貯水槽
RC
戦時下では高射砲が載っていた、清水タンク。
▲94
切符売場兼待合室
木造
ドルフィン桟橋で乗降する船の待合い兼券売。
▲95
青空商店
木造
▲96
組建物
木造
▲97
組建物
木造
▲98
共同トイレ
ブロック
番号前記号 ▲:ほぼ全壊か完全に消失 △:一部残存 RC:鉄筋コンクリート(reinforced concrete)
A
学校グランド
昭和
33年
非舗装
生徒の運動のみならず、会社の行事・運動会や盆踊りなど多目的に使われた運動場。
B
テニスコート
昭和
33年
クレイ・コート
1面コート。ビニールテープの鋲止めライン。木製ネットポール。
C
潮降街
海が時化ると雨のように潮水が降り注いだことから、潮降街と呼ばれるようになった。
D
高島町立児童遊園地
昭和
33年
コの字型をした島内最大の鉱員アパートの中庭の遊園地。
E
花壇
7階が増設されて狭くなった屋上の片隅に設置。
F
船着場
<すべり>とよばれたスロープ状の船着桟橋。主に野母半島からの行商船が利用。
G
船着場
大正年間頃まで使われた旧船着場。閉山間際はゴミ捨て場。
H
汚水浄化槽
糞尿の海水放流による赤痢蔓延防止のために設置。
I
めがね(出入口)
この出入口越しに高島を眺めると、大きく見えることからそう呼ばれた。
J
地獄段
島の最低部から岩礁頂上部の端島神社までを繋ぐ、複雑に入り組んだ階段。
K
五十段
擁壁の脇に、直線で50段積み上げられた階段。
L
高島町立児童遊園地
昭和
36年
閉山時も僅かにコンクリ製の滑り台が残存。
M
端島銀座
商店が一番密集し、行商の露天も集まった、島内一の繁華街。
N
高島町立児童遊園地
昭和
46年
かつてはここに木造鉱員社宅の9号棟・10号棟があった、見晴らしのいい遊園地。
O
肥前端島灯台
平成
10年
閉山後島から灯りが消えたため設置。現在のものは2代目。初代は昭和50年(1975)設置。
P
高島町立プール
昭和
33年
通称「南部プール」と呼ばれた海水プール。以前は北部の旧小中学校の横にあった。
Q
防波堤
明治
32年
敢えなく失敗に終わり実現はしなかった空気防波堤(昭和31年)の実験が行われた付近。
R
海底水道取込口
元来は野母崎からの野菜船などが発着していた、日本初の海底水道の取込口。
S
ドルフィン桟橋
昭和
37年
RC
現在は3代目。初代昭和29年(1954)完成、翌々年流出。2代昭和33年(1958)完成、翌年流出。
T
新船着場
平成
4年
平成3年に決壊した船着場(F)の後に設置された船着場。
U
V
人道トンネル
鉱業所の地下を通り住宅棟側へ出られるトンネル。排水口を兼用。
W
浜通り
住宅棟の端から端までを、ほぼ堤防沿いに繋ぐメインストリート。
X
中通り
14号棟から25号棟1階までを繋ぐ、住宅棟側岩礁中腹の道路。
Y
山通り
地獄段の上部(日給社宅裏手)から25号棟上階までを繋ぐ、住宅棟側岩礁上部の道路。
Z
山道
岩礁の内海側の中腹をほぼ南北に縦断する道路。