■ 台所 ■
今の集合住宅に一般的に見られるよう
な、独立したユニットを後付で設置する
タイプのものは、一部後期の建物にある
ものの、殆どは建築時に同時にコンクリ
ートで作り込んでしまうタイプのもので
す。今から見ると相当頑丈そうに見えま
すが、これは竈の組み込みを考慮しての
ことと考えられます。竈は相当高熱にな
るので、その火力に耐えうる厚く強固な
台所周りを作る必要があったのだと思い
ます。
ちなみに画像の台所が緑色に塗装され
ているのは、恐らく<緑なき島>に少し
でも緑をというこの島の共通感覚から、
自然と選択された色のように思います。
この部屋に限らず、他の建物内の台所も
緑色ないし薄緑色塗装されているところ
が沢山あります。
■ 竈 ■
火は元来坑木(炭鉱の坑道の落盤崩落を防止するための支柱)
の廃材を燃やす竈が一般的で、昭和30年代頃までの建物総て に設置されていて、それらのアパートの屋上には、煙突が何本 も突き立っていますいます。殆どの煙突は直方体の形をしたも のですが、戦前の建物の中に、他とは全く違う洒落たデザイン の施されたものがあります(『コンクリートの森』で画像付き 解説)。やがてプロパンが普及すると竈は使われなくなり、屋 上の煙突も雨水の浸入を防ぐために塞がれていきました。
■ ガ ス ■
昭和30年代になるとプロパンガスが普及し、各家庭の火は 竈からガスへと移行し、閉山時には竈は一切使用されなくなっ て、総ての家庭がガスにより火をつかっていました。
画像は台所の流し台下に残存するプロパンボンベですが、直 接ホースを繋いだ簡易コンロが竈の上に載せられた状態を多く 見ました。ガス台はコンロが一つのものが多く、主に煮炊きに 使い、ご飯は電化の波によって普及した電気炊飯器が使われる ことがおおかったのだと思います。