島内最大の鉱員アパート(65号棟)に囲まれた児童遊園地の場
所には、以前は木造の長屋が並んでいましたが、その後の昭和33
年(1958)の新棟増築の際に、この場所も遊園地として作り替
えられました。
かなりの広さがあり遊戯具も当時の写真を見ると、滑り台からブ
ランコ、シーソー、円形雲梯に地球形の回転ジャングルジムと沢山
ありましましたが、殆どが鉄製のため他施設同様閉山後の潮害で崩
れ去ってしまっています。木製だったシーソーとコンクリ製スロー
プだけが、草に埋もれながら今も残っています。
外海を見晴らす高台にあった遊園地は、以前は木造の鉱員社宅(
9号棟、10号棟)が建っていた場所ですが、閉山も近い昭和46
年(1971)に遊園地に造り替えられました。
こちらはそれ程遊戯具はありませんでしたが、上述65号棟の遊
園地より遙かに日当たりがよく、31号棟の屋上(画像奥)越しに
外海の綺麗な景色が眺められる、気持ちのいい遊園地でした。現在
では崩壊した職員クラブハウス(7号棟)の木材と生い茂る草に覆
われて、殆ど確認することはできなくなっています。
遊園地として囲われた場所ではありませんが、堤防と建物の空き スペースに遊戯具を並べただけの遊園地もありました。外海側堤防 のちょうど真ん中あたり(48号棟と51号棟の間)ですが、ここ にビルが建つ前に体育館があった時の児童公園の名残です。現在で はビルの1階出入口付近に、崩壊した姿で滑り台の遺構だけが残っ ています。