高島炭鉱での石炭発見は端島よりも遙
かに古く、元禄8年(1695)五平太
によるものと言われています。その後佐
賀藩とグラバー邸で有名なトマス・グラ
バーにより開発され、その時代に造られ
た日本で最初の洋式竪坑<北渓井坑>跡
が現在も島内に残存しています。
三菱社による操業開始は明治14年(
1881)。以降端島と共に一貫して三
菱の経営下にありました。最盛期には国
内最悪の自然条件下での最深竪坑(96
5m)掘削の成功などめざましい業績を
残しましたが、出炭不振と累積赤字によ
現在では施設やアパート群の殆どが撤 去され、住宅地域の階段や事務所など幾 つかの施設が残るだけです。また港の近 くには炭鉱資料館があり、前庭に端島の 野外模型があります。
高台から眺める二子地区と野母半島。かつてはアパートの奥に二子竪坑がありました
現在も残る二子竪坑関連施設
数少ない炭鉱時代の遺構。油倉庫跡
まだ使われているものもある二子地区に残るアパート
高台の住宅群は既に撤去され、当時の階段のみが残っています
2004年に改装されてきれいになった石炭資料館
資料館の前庭に設置された端島の野外展示模型